SPOT 日本語と日本人(第9回)えよう。実は、アメリカでも西欧流の議論が何の訓練もなしに行われているわけではない。小学校時代から、スピーチの時間などで訓練されているのだ*16。なお、日本人が英語を低い声でしか話さないという点は、訓練というよりも心がけの問題だ。英語と日本語の間の言語としての基本的な違いを理解した上で、大きな声で話すことを心がけるのだ。何が基本的な違いかというと、英語は複雑な発音をアルファベット26文字で写すことに割り切り、「話す、聞く」に特化した「音声言語」だ。「音声言語」の世界では、音声自体に特定の意味があるので、それを大きな声で話すことによって相手により強く発言内容を印象付けられる。そこで、人々は大きな声で話すことになっているのだ。それに対して、漢字に訓読みなどの多様な読み方がある日本語は「読む、書く」に特化した「文字言語」だ*17。高島俊男氏は、同音異義語が多く文字の裏付けがなければ音声だけでは意味を特定しえないという点で、日本語は音声が無力な世界でおそらくただ一つの、極めて特殊な言語だとしている*18。それは、本稿第7回に述べた、日本語が想像の飛躍がふんだんにみられる言語だということの裏腹ともいえる。日本語は、音声が特定の意味を限定しないことによって想像の飛躍の場を大きく確保しているのだ。そのような日本語を大きな声で話しても、何ら意味の特定につながるわけではなく、場合によっては違和感を持たれることになる。そこで低い声で話すことになっているのだが、そんな調子で英語を話しても、およそ注目されず、場合によっては通じない。まずは、大きな声で話すことを心掛けることが必要なのだ。ここで、国際的に活躍するためには英語が上手にしゃべれる「国際人」にならなければならないという話には大きな誤解があることを述べておきたい。実は、「国際人」といって通じるのは日本だけなのだ。これは、筆者が日本アスペン研究所という所でご一緒しているフランス文学者の塩川哲也氏*19が指摘していることだ。同氏がフランス人に国際人にあたるフランス語を聞いてみたところ、適切な答えが得られないばかりでなく、そもそも質問の趣旨をなかなか理解してもらえなかったという。そもそも「国際」という言葉は、国と国との間に起こる事態や問題を意味し、国際関係、国際政治、国際会議といった言い方はできても、個人であれ集団であれ、人間についてはフランス語でも英語でも国際的というのは不適切だというのである。日本人、アメリカ人、中国人、場合によっては、無国籍の人、さらには難民はいても、国際人などいないという。多くの日本人が、「国際人」について抱いている素朴なイメージは「英語やフランス語ができて国際舞台で活躍できる人」あたりだろうが、塩川氏が日本を良く知るフランスの友人にそのような説明を試みたところ、相手はあきれ顔で、そんな表現はおよそ理解不可能だ、それは考え方自体が混乱して矛盾していると言い、続けてこんなことを言ったという。日本人が日本独自で外国語には翻訳できないと思っている事柄も、それが日本人の生活と文化に根付いているかぎり、納豆やこんにゃくであろうと、はたまた禅や寂びや侘びであろうと、それに関心を寄せる外国人が出てくれば、やがてそれをその国のことばで適切に説明することが可能になり、場合によっては問題の日本語がそのまま取り入れられて、その国の文化に定着していくだろう。しかし日本では国際人の養成が急務であるといったたぐいの表現に出会ったら困惑し、何か下心があるのではないかと警戒するだろう。つまり「国際人」という言い方は、外国人とのコミュニケーションを促進するつもりが、かえってそれを害する結果を生むというのである。笑えない喜劇である。本稿第6回に紹介したハーディー智砂子氏は、「国際人」にするためにということで日本人がその子女を中学や高校から英語圏の学校に入れることは本人の為にもならないとしていた*20。国際的に通用する人になるためには、英語よりも日本の古典などの人文知こそ大切だというのである。他国との文化の違いを理解していてこそ、国際的に活躍が出来るというのである。本稿第1回の「国際人」についての誤解*16) 「日本語には敬語があって主語がない」金谷武洋、光文社新書、2010、p292*17) 日本語の発音は極めて単純素朴で全く「音声言語」的でない(山口仲美、2023、p239)*18) 「漢字と日本人」高島俊男、文春新書、2001、p243。中国語は、「話す、聞く」と「読む、書く」が併存する言語といえよう。「話す、聞く」の「音声言語」の性質から大きな声で話すが、「読む、書く」の「文字言語」の性質から筆談でのコミュニケーションもでき、それがグローバルな中国文明の基盤になってきたというわけである。*19) 東京大学名誉教授、パスカルの研究で知られる*20) 「古き佳きエジンバラから新しい日本が見える」ハーディー智砂子、講談社α新書、2019、p100−101ファイナンス 2024 Dec. 43
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