ファイナンス 2024年12月号 No.709
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SPOT アメリカにみる社会科学の実践(第三回)図2.8:中国との貿易が賃金に与えた影響(階層別、2000-2007年)*10) オーター自身、格差問題を論ずる際、貿易もさることながら、オートメーションに力点をおいた説明をしている(Autor, 2019)。また、再配分につ(出典)Wangetal.,(2018)いて、人材の円滑な移動に資する職業訓練がアメリカで手薄であることを問題視する(MIT News, 2021)。図2.8は過去を分析した結果であるが、裏返せば、トランプの今後の政策がもたらす経済的損失を示唆するものである。一次政権の貿易戦争に対し、世界経済が連結国を通じて適応してきたことを踏まえると、連結国を狙い撃つことは世界貿易全体に大きなダメージを与える恐れある。たしかに、安全保障の観点からすれば、サプライチェーンの重要な部分に中国が介在しているままでは意味がないのは事実である。サプライチェーンの強靱化が喫緊の課題である所以である。しかしながら、貿易不均衡の是正を目指して、連結国を叩きにいくのは悪手であろう。経済学者が市場原理から地経学上の施策をスクリーニングし、鍛えているとすれば、慎重派の国際政治学者が見極めようとするのは米中の相対的国力である。次節でみる通り、中国の台頭をどう位置付けるか、アメリカの社会科学者はひとつの観方を共有するところにまでに至っていない。これらの国際政治学者の活動を通じ、施策がより用心深く計算されたものになることを期待したい。これら経済学、国際政治学からの慎重論があることは、社会のあり方として健全なことである。ただ、彼らの議論に難点があるとすれば、中国の台頭に対していかに対処するのか、ポジティブなプランの提示を欠くことにある。サリバンは、バイデン政権末期(2024年10月)に再びブルキングスで講演し、前年の講演に寄せられた批判に応えようとしている(Sullivan, 2024)。彼は次のように述べている。よって、様子の異なるものとなるだろう。民主党系、共和党系ともその主流派は地経学上の措置に積極的であるが、慎重な社会科学者たちも存在する。慎重派の経済学者も、安全保障や気候変動対策の観点から的を絞った介入を行うことを完全に否定するわけではない。ただ、バイデン政権が「新しいワシントンコンセンサス」「新供給サイド経済学」と銘打ち、製造業の広範な復活を掲げて産業政策に乗り出したことには批判があった。経済学者たちが貿易を巡る議論の現状で不満を感じていることは、中国との貿易が雇用を破壊したというナラティブが過度に強調されていることである。サマーズやローレンスの指摘を待つまでもなく、オーターらの論文自体が、製造業雇用の減少のうち中国からの輸入で説明できるのは四分の一(に過ぎない)としていたことを想起したい。イ・ワン(Zhi Wang、ジョージメイソン大学)らは、2000年から2007年の間、中国からの輸入は直接輸入にさらされた企業等の雇用を年1.98%(7年間の換算で13.1%)減らしたが、投入財の価格低下によって、経済全体の雇用はネットで年1.27%増えたと指摘する(Wang et al. 2018)。図2.8は、階層別の賃金への影響をみたもので、貧しい層ではトータルで賃金を押し下げる力の方が優勢であるが、中間層以上ではプラスとなっている。貧しい層の状況は、チャイナ・シンドロームの厳しさの証左であるが、同時に国内での再分配を通じ、打撃を緩和する余地が実は存在していたことも示唆する*10。ファイナンス 2024 Dec. 33

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