ファイナンス 2024年11月号 No.708
96/106

姥神大神宮渡御祭の様子開陽丸記念館江差町 92 ファイナンス 2024 Nov.また、離島である奥尻町では環境省から第2回脱炭素先行地域(全国20件)に選定され、地熱発電やバイオマス燃料の利用など温室効果ガス削減について積極的に取り組まれています。その起源はおよそ380年前に遡り、神輿の渡御に町内の山車(ヤマ)が供奉し、豊作・豊漁・無病息災を祈念して巡行する、北海道最古のお祭りです。渡御祭当日は13台もの武者人形や歌舞伎人形を配した豪華な山車が、吹き流しや錦の御旗をひるがえし、流暢な北前船がもたらした祇園情緒と江差の風土が合わさった独特の祭囃子の調べにのって町内を練り歩く様子は圧巻です。姥神大神宮の創立は不詳ながら、古来より伝わる伝説に始まります。姥(うば=おばあさん)が神の教示によりニシン漁をもたらし、北海道開拓の礎を築いたことから、人々は「姥が神」として祠を建てて祀ったという伝説です。ニシンが群来するようになり、年々本州より人々が渡って江差が経済の中心となり、姥神大神宮は北海開祖神とも云われるようになったそうです。8月に江差に来られる機会があればぜひ、姥神大神宮渡御祭の迫力をご自身の目でご覧ください。姥神(うばがみ)大神宮渡御祭北海道三大祭りの一つである姥神大神宮渡御祭。毎年8月に人口約7千人の江差町に2~3万人がお祭りを目的に集まっているといわれています。開陽丸は戊辰戦争の際に旧幕府軍の榎本武揚などを収容し、蝦夷地に到着しました。松前を落として次の戦地である江差に向かう土方歳三らの陸軍支援のため開陽丸も江差に向かいましたが、江差沖で暴風雪に遭い座礁し、土方歳三や榎本武揚が見守る中、明治元年11月に沈没してしまいました。この開陽丸の沈没は、旧幕府軍の新政府軍に対する海上戦力の優位が一挙に崩れ去り、後の戦局に大きな影響を及ぼしたとされています。現在も開陽丸は江差沖の海底に眠っており、その船体や遺物は昭和50年に日本初の海底遺跡に登録されました。また、オランダに保管されていた開陽丸の設計図を基に開陽丸を復元した開陽丸記念館があり、その船内では大砲や海底から発見された遺物が展示されており、江差町の観光スポットとなっています。や観光名所がたくさんあります。情緒溢れる歴史的な街並みなど、是非実際にお越しいただき、北海道の雄大な自然と歴史を体感してみてはいかがでしょうか。開陽丸幕末の争乱時に旧幕府軍により導入された、当時最新鋭のオランダ製の軍艦である「開陽丸」。幕末の歴史が好きな方であれば一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。おわりに江差税務署管内には、他にも紹介しきれない、文化

元のページ  ../index.html#96

このブックを見る