ファイナンス 2024年11月号 No.708
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PRI Open Campus ~財務総研の研究・交流活動紹介~ 37*4) 政府税制調査会(2023)「わが国税制の現状と課題―令和時代の構造変化と税制のあり方―」,P.251*5) シグナリングとは、外部から観察することが困難な情報を持っている者が、他者に対して、何らかのシグナルを発することで、その情報を伝えようとすることを言う。ここでは、自身が「善人(Good types)」であることを他者に信じさせるために、納税行動をシグナルとして用いるケースが想定されている。*6) Eric A. Posner(2000), Law and Social Norms:The Case of Tax Compliance, Virginia Law Review, Vol.86, P.1781-P.1820 ファイナンス 2024 Nov. 89のような影響を及ぼしたとお考えでしょうか。20年前に論文を寄稿した時の私はずいぶん若く、少子高齢化のインパクトを現在ほどは実感できていませんでした。しかし、自分自身が高齢化してくると、技術進歩にキャッチアップするのが大変です。去年の6月の政府税制調査会の答申には、こういうくだりがあります。税務手続のデジタル化の推進に当たっては、デジタルに不慣れな納税者も含めあらゆる納税者に対して効率的で使い勝手の良いサービスや必要なサポートを提供するなど包摂的な税務行政の運営が重要である*4包摂的な、つまりあらゆる納税者を包み込む納税サービスというのがポイントで、ここには当然高齢者も含まれます。また、地方分権についても、今回の特集号で論じていない課題がいくつもあります。その一つが地方税の執行です。固定資産税は訴訟がとても多く、市町村の評価事務について多くの課題が指摘されています。今後、適切な機会に検討していく必要があるかもしれません。増井先生は「税務執行の理論」において、エリック・ポズナー氏のシグナル理論に基づく、社会規範の税務執行への作用について、今後の理論的な展開が期待されるとしていましたが、現在では、税務執行におけるシグナリング*5について、どのようにお考えでしょうか。先にもお話しした通り、人々の納税行動は、サンクションと利得を天秤にかけるモデルだけで説明することは難しいです。この点についてシグナル行動モデルを用いて説明しようと試みたのが、2000年のエリック・ポズナー論文でした。*6彼の論文が出てすぐ、同業者から多くの反論があり、弱点が明らかになりました。善人のシグナルとして納税行為が機能するには、どれだけコストをかけて納税しているかが万人に対して明らかにならなければいけません。しかし、納税情報は多くの場合は機密です。観察可能でないものが、シグナルとして機能するかどうか。これが彼の論文のアキレス腱で、弱点を鋭く突かれて、議論が立ち消えたように見えていました。ですがより最近の文献は、ピンポイントで見れば、納税行動がシグナルとして機能する局面があることを示しています。例えば、消費税法の事業者です。課税事業者になるというのは見える形でできます。事業者が、本当は課税事業者にならなくても構わない状況であるにもかかわらず、わざわざ課税事業者になることを選択するといったケースです。信用や評判のためですね。こういったケースでは、課税事業者になることがシグナリングであると言えそうです。というわけで、納税協力との関係では弱点を突かれてしまったシグナル行動モデルも、ピンポイントで適用可能な素材を探していけば、まだまだ深まっていく余地もあるのではないか。こういう手探りの状態が続いている、というのが私の見立てです。本特集号の成果を踏まえた上で、今後の税務執行に関する研究について、注目すべきトピックは何であるとお考えでしょうか。また、今後の研究の発展に期待したいことについても、伺わせてください。継続して注目していきたいトピックはいろいろあります。先ほどご紹介した合法性原則との関連では、「協力的コンプライアンス」という枠組みの国際比較です。あるいは、貨幣との関連では、キャッシュレス化の税務執行上の意味です。また、国際課税との関連では、どのように実効的な紛争処理の仕組みを作っていくかです。このように、注目すべきことはたくさんあります。

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