ファイナンス 2024年11月号 No.708
75/106

図4 パピオスあかし市民広場プロフィール大和総研主任研究員 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。主著に「公民連携パークマネジメント:人を集め都市の価値を高める仕組み」(学芸出版社) (出所)令和6年10月11日に筆者撮影ファイナンス 2024 Nov. 71鳴門ICに至る神戸淡路鳴門自動車道の一部で、鳴門海峡の大鳴門橋を渡って本州と四国、神戸と徳島を結ぶ。明石海峡大橋が、旧来の明石港を経由するルートに置き換わってしまった。明石海峡大橋の北詰は神戸市の舞子にあり、四国への玄関口が明石から舞子に移った。明石港と淡路島岩屋港を結ぶ航路の利用者数は激減し、フェリーは平成22年(2010)に運航休止となった。明石海峡大橋の開通以降、関西から淡路島、徳島には自動車で移動するようになった。公共交通機関の場合、JR舞子駅、山陽電車舞子公園駅に隣接して高速舞子バス停留所があり、駅から高速バスに乗り換えることができる。筆者も明石からJR舞子駅で高速舞子バス停留所に乗り換えて徳島駅まで行ってみた。バスの所要時間はおよそ1時間20分と、東京郊外からバスで羽田空港に行くほどの時間感覚である。買い物や日帰り観光で気軽に行き来できるようになった。その一方、明石はある時期から住まう街へ発展の方向性を変え、磨きをかけてきたと思われる。方針転換が奏功し、いまや様々な媒体で特集される住みやすい街ランキング上位の常連となった。交通拠点の座を譲った明石ではあるが、代わりに神戸圏域の住宅地としての発展を続けている。明石市の人口は平成25年(2013)以来増加しており、令和3年には30万人の大台に乗った。転出を上回る転入があり、特に神戸市からの転入が多い。年齢階層別には25歳~39歳と5歳未満がボリュームゾーンだ。出生率も令和5年で人口1000人当たり8.9と高水準を保っていることから、若いカップルが出産前後に転入するパターンがうかがえる。ベースには明石駅から三ノ宮駅までJR新快速で15分という利便性がある。それだけではない。住みやすさ重視の、特に子育て層をターゲットにした戦略がある。中でも子育て支援の「5つの無料化」が知られるが、ここでは市街地施策に絞って例を挙げる。平成住まう街としての成功例明石の中心市街地の戦後史は、様々な要因で街の中心性が薄まっていった歴史でもある。水運が衰退し、新幹線の駅が明石駅の隣の西明石駅にでき、車社会が到来し、明石海峡大橋が開通した。こうした環境変化が明石の街の空洞化を進めてきた。28年(2016)、明石駅前南地区第一種市街地再開発が完了し、34階建の住宅棟と6階建の公共・商業施設棟からなるパピオスあかしができた。施設棟には大型書店と拠点図書館が同居している。上階には保育ルーム、プレイルームや中高生のサードプレイスがある。本と子育て支援を介して人が集まる仕組みがある。商業拠点としての中心性の代わりに、住まう街としての中心性がパピオスあかしで高まった。テナント構成の妙だけではない。明石駅とパピオスあかしの間の車道が廃止され、両者は横断歩道なしで行き来できるようになっている。東西から自動車で駅前広場に進入するためのロータリーは袋小路になっており、ロータリー間のスペースは歩行者専用の広場になった。駅前空間が国道2号まで拡がったようだ。駅前広場はパピオスあかし2階の吹き抜け空間「あかし市民広場」と連続しており、自由通路を伝って国道2号の向こう側に行ける。ペデストリアンデッキを降りれば魚の棚だ。国道2号で分断されていた人流が魚の棚から東西の本町通りに波及することが期待される。観光振興の後押しで淡路島行き航路利用者数も平成29年(2017)に増加に転じた。これも人流の牽引力となる。

元のページ  ../index.html#75

このブックを見る