*2) 「日本銀行法では、日本銀行の目的を、『我が国の中央銀行として、銀行券を発行するとともに、通貨及び金融の調節を行うこと』および『銀行その他の金融機関の間で行われる資金決済の円滑の確保を図り、もって信用秩序の維持に資すること』と規定しています。また、日本銀行が通貨及び金融の調節を行うに当たっての理念として、『物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること』を掲げています」(日本銀行HPから抜粋)(参考文献)FOMC(2020)2020 Statement on Longer-Run Goals and Monetary Policy Strategy.日本銀行(2021)「より効果的で持続的な金融緩和を実施していくための点検」.ダイアモンドオンライン(2024)「『失われた30年』を、いかに克服するか」. ファイナンス 2024 Nov. 65れば、日本で「再帰的」な政策策定が出来なかった理由を考えることである。財務省(大蔵省)を例に、この問題を考えることは、不良債権、金融政策という本書の論題に鑑みて的外れなものではないだろう。バブル崩壊以降、財務省は社会から指弾を受ける場面がたびたびあった。当時の組織内の議論には、慧眼だと評者が感じた提言もあったのである。1)重要な意思決定を行政機関の中にとどめず、政治のガイダンスを得るべきこと、2)政策策定に科学的知見を積極的に活用すべきことの二点であった。政治のガイダンスは縦割りを排除する。科学的知見は再帰的現象への洞察を政策論議にもたらす。実際、日本の統治のあり方は、これら二つの方向に動いてきた。何が足りなかったのか。より直近の金融政策の例を考察した方がよいだろう。第一の提言、政治のガイダンスに関しては、金融緩和が政治の支持のもとに開始され、続けられたことは明白である。第二の提言については、少なくとも当初は、(不確実なものではあっても)大胆な緩和が科学的知見に反するものであったとまでは言えない。本書の述べる通り、期待への働きかけはアメリカから持ち込まれたアイデアであった。緩和から長い時を隔てたあとはどうか。たしかにインフレ期待の反応は芳しいものでなかった。ただ、緩和のなかった場合(反実仮想)と比べ、緩和がポジティブな効果を持ったとの立論は可能であり、実際、日本銀行はその線に沿った理論武装に最後まで取り組んだ(日本銀行, 2021)。アメリカでも、ごく最近までフォワードガイダンスはゼロ金利制約のもとで有効な政策手段とされていた(FOMC, 2020)。問題の核心は、金融政策が異時点間の資源配分に関わることにある。短期的には、金融緩和は誰にとっても好ましいことである。ただ、将来のインフレというマイナスがある。このトレードオフについては、中央銀行に物価安定のマンデートを与えつつ、その独立を担保するという解決方法を社会は学んだ。問題は長期停滞というマイナスを回避することが、中央銀行のマンデートに含まれないことである*2。そして、一段と深い問題は、政治を含む世の大勢が、緩和のメリットと社会の長期的繁栄の間にトレードオフがあるとしても、緩和のメリットの方を取りがちなことである。政治にガイダンスを求めることは、異時点間の文脈ではワークしない。トレードオフを指摘する科学的知見を持ち出したところで、トレードオフ間の適切なバランスへと社会を引っ張る仕組みを欠くならば、科学の声は聞き流される。厄介なのは、異時点間の資源配分が、金融政策に限らず、遍在する問題であることである。財政や気候変動はもちろん、不良債権問題でさえ、先送りによる現在のメリット(責任回避)と将来のマイナス(長期停滞)の間のトレードオフという貌を持つ。政治のガイダンスを求める第一の提言は、財務省に日本の統治機構のなかでの適切な立ち位置を教えたが、真に必要なことは他にもあったのではないか。その必要なこととは、中央銀行制度の創設に比定されるような何かである。異時点間のトレードオフに際し、民主政と科学的知見の間の均衡点を実現する、何らかの社会的イノベーションなのではないか。この点、小林教授が本書の最後を世代間問題の考察に充てていることは示唆的である。おわりに本書には他にも興味をそそるところがある。「再帰性」の概念には一層の発展の余地がありそうである。合理的期待形成でいう「再帰性」は、固定した効用関数のもとで互いの出方を読み合う関係である。他方、カントなど哲学の文脈での「再帰性」は、互いの効用関数が変容する過程を含んでいるように思われる。一冊の書物を「『私たちの時代』の肖像」とするのは我々読者に他ならない。本書『日本の経済政策』が多くの読者を得て、「『私たちの時代』の肖像」となるのをみてみたい。
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