FINANCE LIBRARY*1) 財務総合政策研究所客員研究員。なお、本評のうち意見にわたる部分は個人の見解であることをお断りしておく。小林 慶一郎 著日本の経済政策「失われた30年」をいかに克服するか中央公論新社 2024年1月 定価 本体920円+税「『私たちの時代』の肖像」*1評者廣光 俊昭*1本書は、当代の論客のひとり、小林慶一郎慶応義塾大学教授による、「失われた30年」の解釈と、その克服の処方箋である。不良債権からデフレへと移り変わる経済論議の焦点と、時代とともに革新を重ねる経済学の動向を撚り合わせ、鮮やかにこの30年間を描き出す。本書は、不良債権処理に時間をかけすぎたことで、人的資本と企業間分業が劣化し、不良債権処理後の長期停滞をもたらしたことを指摘する。不良債権処理を先送りする間、前向きの事業に向かうべき人的資本が形成されず、疑心暗鬼が企業間分業を阻害し、これらの間の相互作用が経済を低迷に導いたという。不良債権処理の遅れを招いたのは、政策当局の縦割り主義であり、具体的には金融行政が不良債権のマクロ的影響を考慮外としたことであったとする。不良債権処理の先送りの悪影響に思い至らなかったのは、先送りに人々がどう反応するかという想像力が欠けていたからである。デフレ論議では、インフレ期待に働きかける実験的政策が焦点となった。期待を操作できるという前提が崩れ、著者はこの政策は効果が出なかったとする。それにも関わらず、十年単位で政策が撤回されることはなかった。長期の金融緩和は経済の新陳代謝を阻害し、むしろ経済の成長力を損なったことを、著者は最近の研究に基づいて示唆する。期待を操作できるという想定は、人々を自由に操ることができるかのように考えるエリート主義に由来するものであった。物価に神経を集中する縦割り的な金融政策論議は、緩和の財政規律への影響、政治的な改革意欲の減退といった、副作用への考慮を欠いていたと指摘する。これらの失敗に通底する問題として、著者の指摘す 64 ファイナンス 2024 Nov.るのが「再帰的思考」の欠如である。再帰的思考とは、他者の思考について思考することである。政策当局者が「この政策を実行したら国民や市場はどう考え、どのように反応するだろうか」と考えれば、失敗は防げたと著者は示唆する。本書は、リフレ派とは一線を画しつつ、首尾一貫した考察を提示している。自律的な個人や企業の創意とリスクテークこそが豊かな社会を築く礎であるとの見地に立つ。ただ、本書の論調は冷たいものではなく、むしろ血の通ったものである。人々を上から眺めるエリートの経済学ではなく、人々を一個の思考力を持つ対話の相手として遇する経済学である。競争による新陳代謝の意義を強調しつつも、格差への目配りを忘れない。自著を語る場で、小林教授は「自分なりに『私たちの時代』の肖像、経済政策の経緯からみた『日本人の自画像』を書いてみたかった」と語る(ダイアモンドオンライン, 2024)。時代はその自画像ともいうべき作品を持つことがある。評者は、経済・社会科学の分野では、戦前期に野呂栄太郎『日本資本主義発達史』(1930)、戦後成長の絶頂期には、村上・公文・佐藤『文明としてのイエ社会』(1979)を、そのような自画像として思い浮かべる。この30年間は充分に長い歴史的時間であり、我々の時代も自らの自画像を持って然るべきである。本書は論争的な内容を含んでいるが、であるからこそ、そのような書となる資格があるように思う。「再帰性」の社会実装本書のあらましを述べたところで、以下、本書が政策当局者に突きつける問題について、評者なりに考えてみたい。問題とは、「再帰性」を社会実装するにはどうすれば良いかということである。回顧的に換言す
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