ファイナンス 2024年11月号 No.708
54/106

(源氏の君は、宴の夜、弘■殿で古歌を謡っている人、朧月夜の袖を捉える。出典:与謝野晶子訳「新訳源氏物語 上巻」)新訳源氏物語 上巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション(ndl.go.jp)(6) 末摘花「なつかしき花ともなしに何に此(7)紅葉賀のすえつむ花を袖にふれけん」(8)花宴 50 ファイナンス 2024 Nov.雨夜の品定めで、荒れはて草深い家に、思いもよらぬ可憐な女がひっそりと閉じこもっているのは非常に珍しいと聞いていた源氏の君は、常陸宮の娘が一層御窮迫しているが琴を弾くのが好きだとの話を耳にする。暗い家で姫君の顔も見ずに関係を持つが、昼間みると、「アナと雪の女王」のオラフのよう。物語には多くの美女が登場するが、この女性については「これは畸形だと思へるのは鼻である。ひどく高ひうえに先の方が垂れて赤い。…額が非常に出ているのに、なほ下の方が長い顔に見えるのは、よくよくの長い顔であると思はれる…」(与謝野晶子訳)と残酷なまでに具体的に描く。「末摘花」は染料につかう紅花の別名で、源氏の君は「別に可憐と云ふほどの女でもないのに、どうして自分は此の鼻の先の紅い人に手を触れたのであらう」(谷崎潤一郎訳)との歌を詠む。平安時代の美人の条件について。「王朝の貴族」によると、紫式部日記の中で彼女が同僚「を批評してあるのを見ると、だいたい、美人の標準と言うものが分かるよう」だという。「髪が長いことが当時の美人の絶対条件」とし、「その他の条件を拾ってみると、ふっくらとして少し太り気味ぐらいの方が好まれ…色は白いに越したことは無いが、それもつやがあって光るようなのが良いらしい。清らかな感じがたいせつにされるのも当然…、一体に当時の美人の標準は、…案外に健康的である。目じりはちょっと下がり目くらいが良いようで、つりあがったたのはいただけないらしい。」という。父帝は、行幸の前に試楽を御所で催す。源氏の中将は、雅楽、青海波を舞い、相手は頭の中将。「源氏の君の足踏みや御顔の表情などは、…この世のものとも思われないほどである。…弘徽殿の女御はこんなに眩いばかりの御容姿をご覧になるにつけても、穏やかならぬお気持ちで、『おお、気味が悪い』とおっしゃる」(円地文子訳)。「青海波」と言えば、独立行政法人日本芸術文化振興会のWesiteによると、青海波の装束には「波を幾重にも重ねた青海波紋に、96羽の千鳥がすべて異なる姿で刺繍され、雅楽装束の中で最も美しい」と言われているという。波頭を幾何学的にとらえて文様化した青海波は着物の文様としても知られているという。やがて藤壺の宮が中宮になり、弘徽殿の女御は不満に思う。不遇の時代の伏線。ずっと後から入内した人が中宮になることもある。「王朝の貴族」によれば、道長と折り合いの悪かった三条天皇が即位した際、道長の二女妍子と故大納言藤原済時の娘娍子が入内していたが。「道長を背景に持つ妍子と、…十六年前になくなった済時を父とする娍子とでは、その勢力は比較になら」ず、1012年(長和元)、「十八、九歳で子もなかった」妍子は中宮に立ち、「六人の皇子王女があった」娍子はとり遺された。ただ、それでは収まらず、妍子立后のすぐのち娍子を皇后に立てたという。藤壺といえば、道長の娘、彰子が後宮入りしたとき、「清涼殿から近い格上の殿舎は埋まってしまっていたため」藤壺に入り、従来格下であったのが、「彰子の妹たち(三条天皇中宮妍子、後一条天皇中宮威子)も姉にならって藤壺を使用」したという。内裏の後宮は大奥と違って男子禁制ではない。紫宸殿で桜の宴があった晩、源氏の君は弘徽殿を通ったとき、美しい声で古い歌を歌っている女の袖をとらえる。源氏の君が清涼殿の奥にある弘徽殿を通ることがで

元のページ  ../index.html#54

このブックを見る