(源氏の君は乳母の隣人、夕顔から歌の書かれた扇をもらう「広重『源氏物語五十四帖 夕顔』、嘉永5.」)源氏物語五十四帖 夕顔(源氏物語五十四帖) - 国立国会図書館デジタルコレクション(ndl.go.jp)源氏物語とその世界(上) ファイナンス 2024 Nov. 49(3) 空蝉「空蝉の身をかへてける木のもとに なほ人がらのなつかしきかな」(4) 夕顔「心あてにそれかとぞ見る白つゆのひかりそへたる夕がほの花」(5)若紫もあらず消ゆる帚木(物の数でもない葦屋に生きている身は、受領の妻という卑しい名前が附いている情けなさに、いるにもいられない心地がして、帚木のように消えてしまひたうございます)(谷崎潤一郎訳)との返歌。物語では受領は卑しい身分のように扱われるが、道長の母時姫も受領の娘。「空蝉」とは蝉の抜け殻。源氏の君は空蝉に逢おうとして通う。ある夕暮れ、空蝉が継娘と碁を打っているのを見て、いっそう惹かれる。物語には将棋は登場しないが、囲碁は度々登場。日本棋院のWebsiteによれば、701年(大宝元年)制定の大宝律令では、「スゴロクやバクチは禁止するが「碁琴」は禁止しないという法律が決められ」、奈良の正倉院にも「碁盤が3面、碁石は2組保存」されているという程で「貴族の社会では囲碁を非常に好んだ」という。夜、また忍び込むと若妻は源氏の君に気付いて、蝉の抜け殻のように衣を脱いで、逃げてしまうが、隣に寝ていた継娘に言いつくろって「一夜の契りを交わした」(円地文子訳)。翌朝、継娘ではなく空蝉に「蝉が殻から抜けて身を変えてしまふように、衣を脱ぎ捨てて逃げて行ってしまった人のあと(「木下」と云ったのは蝉の縁語)に、自分は取り残されながらも、なほその人の人柄のなつかしさを忘れかねている」(谷崎潤一郎訳)との歌を贈る。尼になった乳母の家を訪ねたおりに、夕顔の花が白く咲いている隣家の女性に心を惹かれた源氏の君は「白露の光が添うた夕顔の花のやうに美しいお方を、大方源氏の君であらうと勝手に推量して御眺め申しました」(谷崎潤一郎訳)との歌を貰い、和歌のやり取りをした女性と互いに名も名乗らずに関係する。この時代、手紙にしたためた和歌のみならず、その文字、紙の色・質、焚きこめる香の匂いに思いを込める。郵便もない時代、手紙は使いの者が届ける。「王朝の貴族」によれば「当時の男女の交際はこのようにかならず和歌の贈答で始まる。…どんな唐変木でも和歌の一つ二つはよむらならわしで…、この男女の交際が和歌の贈答に始まるというならわしが、日本の和歌の発達をもたらした大きな原因」だという。翌日、源氏の君はある廃院に女性を連れ出し、打ち解けて過ごすが、その夜、「枕元に、ぞっとするほど美しい女が座っていて…つまらない女をお連れ歩きになって御寵愛なさるとはあんまりです」(瀬戸内寂聴訳)といい、うなされて目が覚めると女性は既に息絶えていた。夕顔を失った源氏の君は、「品定め」のおりに頭の中将が語った幼い娘の居る女だとわかり、ずっとその人のことを忘れられず、その娘を引き取りたいと思う。今なら、未成年者を保護者の同意なく家に連れ帰ったら犯罪になる。病の加持を受けに行った源氏の君は、僧都の庵に身を寄せていた美少女と会う。美少女は源氏の君が恋焦がれる藤壺の宮の兄、兵部の卿の宮の落胤。藤壺に面影が似ている少女を宮が引き取ろうとする前夜、強引に略奪して二条邸に連れてきて一切を世話する。「王朝の貴族」によると、当時、「女は経済的にも、むしろ婿の世話をする立場であって、婿の力だけを頼みにして生きるような生活をみじめとし、恥とするたてまえであった」というから「紫の上はこうして源氏と長く同居し、葵上の死後はさながら正妻のような形になっているが、もとはといえば薄幸の、日陰的な存在」だという。
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