日本語と日本人(第8回)*50) 「聞く技術 聞いてもらう技術」東畑開人、ちくま新書、2023、p117*51) 「応援される42の言葉」一柳良雄、日本経済新聞出版、2024、p123*52) 「怖い!は生きる力」『時代の証言者』読売新聞、2023.4.25,楳図かずお*53) 自然な会話とやりとりで進行していく「静かな演劇」の作劇術を定着させた劇作家*54) 「ファイナンス」2023.8、p57−59*55) 英国の慈善支援基金(CAF)が毎年報告している『世界人助け指数』によると日本は143か国中下から4番目の139位で「見知らぬ人を助ける」項目が特に低くなっている(岡崎明子、朝日新聞、2023.12.16)*56) WEB特集:「じゃりん子チエ。なぜ時代超えて共感?」NHK大阪放送局ディレクター 稲嶌航士(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230420/k10014040731000.html)*57) 与那覇、2022、p63。「メンタル脳」アンデシュ・ハンセン、新潮社、2024、が日本人に限らない話として参考になる。 ファイナンス 2024 Nov. 45欧流の「自我」の観念を持たない日本人は、人の価値を特定の能力で測ることを良しとしない感覚を持っているからだ。「ゆとり教育」の失敗に関して、ここで最近とかく話題になるジョブ型の雇用を導入するに際しての留意点について触れておくこととしたい。ジョブ型の雇用のためには、職場における個人の能力の測定が必要になるが、それは「ゆとり教育」における生徒の「主体的な学び」を測定しようとする試みと同じことだ。一部の社員については良いとしても、従業員全員について機械的にあてはめようとすると、職場に大きなストレスをもたらし職場環境を悪化させることにもなりかねない*50。そもそも主体的などと言われても、最近は「何がやりたいのかわからない」「これからどうすればいいのかわからない」という若者が増えてきているというのだ*51。「ほら」に関していえば、漫画家の楳図かずお氏は、漫画は高度に進化したと思うけれど、「ウソの世界」は、逆に退化したんじゃないかと思いますと述べている。同氏によると、「昔の漫画はウソだらけで、そこが面白かった。その筆頭が手塚治虫さんでした。でも、そんな手塚さんまでが、次第にウソの世界を描かなくなってしまった。その代わり、「バトル」と「職業」が漫画の中心になってきました。勝ち負けの話は、僕にとっては、「ドクメンタリー」で「ドラマ」じゃないんです。職業漫画もそう」*52という状態になっているという。「ゆとり教育」で大切なのは、日本本来の「ほら」を大切にする教育ではなかろうかと思わせる話である。若者の自殺について若者の自殺に関して、平田オリザ氏*53が、財務総合研究所の講演*54で、これからは「自己肯定感」から「自己有用感」へ移行し、緩やかなネットワークの中で、文化による社会包摂されることが必要だとされていた点が、参考になろう。「自己肯定感」など持てなくなっているのが「何がやりたいのかわからない」「これからどうすればいいのかわからない」となっている若者たちだ。筆者としては、そんな若者でも、懐疑のなかにいられる能力であるネガティブ・ケイパビリティ―を発揮できるようになれば、「世間」という場の中で自分が何か役立っているという「自己有用感」は持てるようになるはずだ。そうなれば、西欧流の「自我」を前提として不安になる必要はなくなる。そうなれば、若者の自殺も少なくなっていくのではないかと考えている。最後に、かつての日本語の言語空間が失われて行っている中で日本の老人たちも孤独になっていることについて触れておきたい。それは、「世間」の寄り添い機能が失われてきてしまったことによるものである。かつての日本人の「周囲の人たちの幸福」を願う気持ちが薄れてしまってきていることによるものである*55。そのような中で、今日の多くの老人たちは「振り返ったら独りぼっち」ということになっている。最近、昭和の下町感満載の「じゃりン子チエ」が人々の共感を呼んだというが、それもそんな状況下でのことだったといえよう*56。若者が、SNSの言語空間で孤独になり、老人が、日本語の寄り添い機能が失われてしまった言語空間で孤独になっているのだ。与那覇氏は、対話に基づくケア(寄り添い)のある社会を取り戻すための工夫が求められるとしている*57。日本語の果たしてきた役割について、よく考えてみる必要がありそうだ。次回は、グローバル化時代に日本語が果たすべき役割について見ていくことにしたい。日本語は、国内で問題を抱えているだけでなく、国際的にもおよそ英語に太刀打ちできないという問題を抱えているのである。
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