ファイナンス 2024年11月号 No.708
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*26) 「過剰可視化社会」与那覇潤、PHP新書、2022、p27*27) 日経新聞、夕刊、2023・2・24*28) 山口仲美、2023、p245−46.*29) 「誰が国語力を殺すのか」石井光太、文芸春秋、2022、p129*30) 石井光太、2022、p129, 152*31) 「『言霊』という罠」京極夏彦、学士会報、No.965,2024−Ⅱ、p35*32) 山口仲美、2023、p265−66*33) 「脳の闇」中野信子、新潮新書、2023、p219*34) 中野信子、2023、p241*35) 中野信子、2023、p187 42 ファイナンス 2024 Nov.間であれば期待されたような寄り添い機能なしに大きく傷つくようになっているのである*26。SNSが作り出す言語空間養老孟司氏は、「言っていることが相手に通じるなんて、奇跡みたいなもの。特にSNSやリモート会議といった場を共有しないコミュニケーションは難しい。」「人や動物と仲良くなるのは、理屈ではない。なんとなく波長が合うということがある。その状況を「共鳴」と呼ぶ」としている*27。なんとなく波長が合うようにするために、日本語の世界では、敬語を駆使したり、語尾をあいまいにしたりして相互の関係をコントロールしてきたのだ。主語が無く、自己も他人も変幻自在に主体として立ち現れる日本語の会話は、それぞれの主体で構成される「世間」をまずは見極めながら行われる。誰かの発言がおかしいと思っても相手を傷つけるような直接的な反駁は行わないのが一般的だ。「只今のご発言は誠にその通りであります」と相手をまずは立てる。そして、最後まで聞いていると否定していることがわかるように発言をする。自分の発言に自信があっても断定は避けておいて、状況次第では引っ込められるようにしておくのだ。ところが、SNSの世界では、そのような臨機応変な対応が行われない。SNSのテキストは文章というよりは単語の羅列だ。日本語に豊富な他人の心を推し量る語彙がなく、複雑な表現を可能にしていた文法も簡略化されている*28。そこでの発言は、誰かに話しかけるというよりも独り言のようにつぶやくものだ*29。独り言での感情の吐露は、それが他人を傷つけることを意識しない。そこで飛び交う言葉は、その瞬間に頭に浮かんだことや思ったことがストレートに表現され、深い思慮を伴わないままどんどん暴力性を帯びて、やがて炎上を呼ぶ*30。しかもネット上の言葉は永遠に残る。永遠にナイフでの刺し合いを続けるようなものになってしまう*31。「水に流す」ことが出来ない世界なのだ。それは、人と人との結びつきを強めるはずだった言語が、人を孤独にし、人と人をバラバラにする世界だ。特に、呪いの言葉が人に不幸をもたらすといった想像の飛躍がふんだんに行われてきた日本語の世界では、「死ね」などという言葉は人を深刻に傷つけることになる*32。脳科学者の中野信子氏によると、人間の脳は悪意を向けられていると感じるとストレスホルモンが分泌される一方で免疫力を高めるオキシトンの濃度が落ちるという。脳は萎縮方向に向かい自律神経のバランスもとれなくなって、全身のどこかにある創傷が治りにくくなり、感染症にもかかりやすくなる。そこへもう一押しの何らかの理由があれば、本当に命を奪ってしまうこともあり得るという*33。そもそも、日本人は杞憂に陥りやすい。杞憂にはセロトニンという物質が関係するが、日本人には、セロトニン・トランスポーターの数が少ないタイプの人が世界平均と比べて異様に多いからだ*34。日本の若者の自殺が死因のトップという他の先進諸国に見られない状況になっている背景と言えよう。中野氏によると、傷つけられた人は健康な人を遠ざけてしまい、同じだけネガティブな人と引きあうようになるという*35。傷つけられた仲間だけで心地よい「世間」を創り出そうとするのだ。しかしながら、その「世間」で交わされるのも、SNS上の「世間」では独り言のようにつぶやく言語表現ということになるので、そこには日本語が持っていた寄り添い機能は存在しない。「ゆとり教育」の失敗を指摘した金間大介氏によると、そのような空間では、差がつくことや目立つことをひたすら忌避する「演技」が行われ、横の平等圧力が働く世界になるという。そのような圧力を受けている若者はインターネット以外の一般的な社会においても、目立つことをひたすら忌避する行動様式をとるようになるという。例えば、採用試験での個性や能力の見極めは圧力そのものということになるので、実力よりコネや肩書への逃避

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