ファイナンス 2024年11月号 No.708
45/106

日本語と日本人(第8回)*18) 本稿第7回「日本の慰霊」参照*19) 「日本の感性が世界を変える」鈴木孝夫、新潮選書、2014、p43*20) 伊藤仁斎は統治の学として朱子の説く太極説や理気説は儒教の原典のどこにもないとし、荻生徂徠は朱子の学説が古代の言葉の意味とは異なっているとした(「四書五経」竹内照夫、平凡社、1981)*21) 本稿第7回「日本における神仏」参照*22) 西欧においては同性愛は神に対する重大な罪とされていたが、日本では、世間に迷惑をかけるわけでもない同性愛などは、そもそも罪とは認識してこなかった。戦国時代の武将は、男色を「衆道」として当たり前のものととらえていた。*23) 「本音」小倉智昭、古市憲寿、新潮新書、2024、p195*24) 「室町は今日もハードボイルド」清水克行、新潮社、2021、p174,186*25) 「ただしさに殺されないために」御田寺圭、大和書房、2022、p97、p94−97、99、p101 ファイナンス 2024 Nov. 41ものだと考えてきたことだ*18。それは、「世間」の中にいる他人との間でなにかもめごとがあっても「水に流して」やり直すことを認めてきた日本人の姿である。日本人は、そのようにして「世間」の中の人々との心理的な距離をうまくコントロールしてきたのだ。そこからは、西欧流の自立した「自我」を前提にする徹底した「自己責任」の追及といった感覚は出てこない。日本人は、泥棒にも三分の理といい、百%の善人も、百%の悪人もいないとしてきた*19。嘘も方便としてきた。中国で統治の道具とされた儒学も、黒白をはっきりさせる統治の道具としてよりも、人の生き方を示す内面的な哲学として受け入れてきた*20。しかも、それも黒白を判別して正邪を正すといった絶対的なものとしてではなかった。客観論に基づく二元論や善悪、正邪などと言われると、どこか嘘っぽいと感じるのが日本人だ。正邪などと言われても、罪を穢れの一種ととらえる日本人には絶対的な正邪の感覚がなかったのだ。それは、西欧的な神に対する罪の感覚がなかったからでもあった。神と言っても、自分もやがて一体化する氏神様だからである*21。日本人にとって、罪を「お天道さまが見ている」というときの「お天道さま」はそんな氏神様も含めた「世間」だったのだ*22。インターネットの影響西欧流の徹底した自己責任の追及に対しては、反発するのが伝統的な日本人の姿だった。「死刑になりたかった」として他人を殺傷する犯罪者に対しても、自己責任の論理から「一人で勝手に死ねば」と言ったりすると冷たい人間とされてしまうのだ。ところが最近、「悪」はどんな些細なものでも、徹底的にみんなで叩くということが一般化してきている。特にSNSの世界ではそうなっている。「悪」はどんな些細なものでも、徹底的にみんなで叩く分かりやすい例が「言葉狩り」である。日常生活においての言葉狩りは、魚屋、肉屋、八百屋などを差別用語だとして、お魚屋さん、精肉店などと言わなければならないといったもので*23、日本語の豊かな言語空間が失われてしまうことを嘆けばいい程度なのだが、それに西欧流の「自己責任」追及の感覚が加わるとそれでは済まなくなる。そのような言葉狩りは、「人権感覚のコードに反したものは、そもそも表現や言論に当たらないので、これを制限したり制裁したりするのは表現の自由と矛盾しない」とのロジックからのものだ。そのロジックの先にあるのが、過去の個人の発言まで取り上げて、現在の価値観のもとに糾弾して抹殺する「キャンセル・カルチャー」だ。「悪」はどんな些細なものでも徹底的にみんなで叩くのだ。そこには、罪がお祓いで清められて無くなってしまうという感覚は存在しない。「水に流す」という感覚は存在しない。2008年に、ある高校の野球部監督がイタリアのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂で「落書き」をして、それがバッシングされて解雇までされるという「事件」が起こった。欧州でもかつての日本でも、寺社への落書きは珍しいことではなかったのに、そんな断罪が行われるようになったのだ*24。「ただしさに殺されないために」という本の中で御田寺圭氏は、それはバーミアンの大仏を爆破したタリバンの行動様式とそれほど違わないとしている*25。そんな「キャンセル・カルチャー」が特に跋扈しているのが、SNSなどのインターネットの世界だ。差別的な言葉を使ったというだけで、炎上したり袋叩きにあったりするのだ。欧米でもSNSは、同じ意見の人たちだけがまとまって、しかもその意見が過激化するために世界を分断化してしまうといった問題が指摘されているが、人々が自立した「自我」を持つ欧米では深刻な問題はそこまでであろう。ところが、欧米のような「自我」を持たない日本では、それは個人の存立にとっての深刻な脅威になっている。西欧文明の流入によって、ただでさえ不安になっている日本人が、SNSなどの新たな言語空間で本来の日本語の言語空

元のページ  ../index.html#45

このブックを見る