*10) 本稿第1回「『世間』の中で自己を規定する日本語」参照*11) 「ウサギ追いしかの山、こぶな釣りしかの川・・・」高野辰久、1914年(大正3年)*12) 「母さんが夜なべして手袋編んでくれた・・・」津田聡、1956年(昭和31年)*13) 映画「男はつらいよ」に描かれた■飾柴又の商店街の人々の人情にも、よく表れていた*14) 卒業式で歌われる「仰げば尊し」の「身を立て名を挙げやよ励めよ」は、志を果たすべく努めよとするものである*15) 本稿第1回「『世間』の中で自己を規定する日本語」参照*16) 「日本語が消滅する」山口仲美、幻冬舎、2023、p164−65。日本以外でも、英語に特化したシンガポールでは、人々が誇りと自信を失って、深刻なアイデンティティー・クライシスに直面しているという(「英語国家シンガポールのアイデンティティ:多言語国家における言語政策」示村陽一、Global studies(2), 1-12, 2018-03-01、武蔵野大学グローバルスタディーズ研究所)。*17) 西欧でも、19世紀の思想家ジョン・スチュアート・ミルは「自分が幸福だろうかと自分に聞いたりすれば、君は幸福でなくなってしまう」と述べていた((「心はこうして創られる」ニック・チェイター、講談社選書メチエ、2022,p255、264)。 40 ファイナンス 2024 Nov.相手と感情を共有する構造が創り上げられる。その過程で、相互の寄り添い機能が創り上げられていくのである。熊谷晋一郎氏の言っていた、日本人の自立は多くの人に少しずつ依存できるようになっていくということだ*10。そのような寄り添い機能は大正時代に創られた童謡の「ふるさと」*11や、戦後まもなく創られた「かあさん」*12の歌によく表れていた*13。「ふるさと」の3番は「志(こころざし)を果たして*14いつの日にか帰らん、山は青きふるさと水は清きふるさと」となっている。この歌詞は、故郷から都会に出ていっても、心の中には寄り添ってくれるかつての友人や知人のいる故郷がいつもあることを前提にしている。しかしながら、志は必ず果たせるものではない。失敗することもある。うまくいかないこともある。そんなことの方が多いはずだ。そんな時にでも帰っていける一番身近な故郷が「かあさん」だった。「夜なべして手袋編んでくれ」る「かあさん」だ。「かあさん」がどうして一番身近な故郷なのかというと、赤ん坊は母親からの語りかけによって日本語を自然に習得するからだ。「かあさん」は、全ての日本人にとっていつでも帰れる故郷で、寄り添い機能そのものだった。かつての戦争で死んでいった多くの兵士は、「天皇陛下万歳」ではなく「お母さん」と叫んで死んでいったのだ。日本語が持っている寄り添い機能が西欧文明の流入によって失われていくことからくる不安を、明治、大正時代にいち早く感じていた一人が、「手巾」を書いた芥川龍之介だったといえよう。芥川は、自立した「自我」を前提にする西欧的な感覚も身に着けた上で、日本人本来の生きざまを観察した末に「ぼんやりとした不安」に取り憑かれてしまった。そして「唯ぼんやりとした不安」と書き残して自殺してしまったように思われる。西欧流の「自我」がなければならないはずだと考えると、西田幾多郎のように「我々の自己は根底的には自己矛盾的存在である」*15などと考えて不安になってしまうのだ。「逝きし世の面影」にあるように、江戸時代までは人々は貧しくとも「世間」を大切にする日本語の言語空間の中で、明るく楽しく暮らしてきた。個人にとっての生きがいや幸福などといったことは考えたこともなかったはずだ。ハーンが言っていたように、周囲の人たちの幸せを喜びと考え、「世間並」を自らの幸せと考えてきたのが日本人だった。ところが明治になって、西欧流の個人にとっての生きがいや幸福などということを考え出して不安になってしまったのだ*16。最近その日本人の不安に拍車をかけているのが、SNSなどの日本語が当然前提としていた「世間」をおよそ共有しない言語空間の登場だ。そのような言語空間には、日本語が持っていた寄り添い機能は存在しない。そのような言語空間が跋扈するようになって、若い人たちの間にはコミュニケーション障害といったことが日常的に問題とされるようになってきている。寄り添い機能の象徴だった「かあさん」にも「毒親」が発生し、「親ガチャ」といったことが言われるようになってきている。その延長線上に、最近の若者の自殺もあると考えられるのである。養老氏の「自らを移り行く自然と一体のものとしてとらえてきた」ということから浮かび上がってくるのが、日本人は罪もケガレの一種で、お祓いでなくなる「自らを移り行く自然と一体のものとしてとらえてきた」日本人養老孟司氏によれば、「日本人は従来、自らを移り行く自然と一体のものとしてとらえてきた。だが、近代以降、固定的な自己の観念が広がり、個性が求められるようになった。自分を固めなきゃというのはストレスです。変化するものと捉え直せば楽になる。」「幸福ですかと聞かれるのもストレスです」*17とのことである。
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