ファイナンス 2024年11月号 No.708
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アメリカにみる社会科学の実践(第二回) ファイナンス 2024 Nov. 33を使うレジームから、債務GDP比を安定化するために増税をするほかないレジームへの切り替えが起こる。アメリカ経済に当てはめて試算すると、転換点は112.5%であり、さほど現状から遠いものではなかったという。経済学者たちは、プライマリー赤字の継続と低金利について明瞭な説明を提示したという地点には達していない。バブルであると言いたくなる誘惑に駆られるのも無理はない。しかしながら、バブルという言葉は思考停止を招く。可能な限り、説明のギャップを埋めることが、マクロ経済学や金融経済学のイノベーションを生むのであり、経済学者たちは粘り強く、その作業に取り組んでいる。(5)展望今後、アメリカ財政は健全化に向かうことができるのだろうか。健全化へのチャネルとしては三つほど想定できる。一つは議会のチャネル、二つ目は市民を通るチャネル、三つ目は市場を通るチャネルである。予算編成権を持つのは議会であるから、いずれのチャネルも最終的には議会を通る。議会のチャネルは、議会が自ら健全化に向けて動き出すことを想定する。待鳥聡史(京都大学)は、民主主義のもとで財政健全化は可能かという問題意識のもと、アメリカの1970年代から90年代の財政健全化過程を分析している(待鳥, 2003)。そして、好調なマクロ経済だけではなく,予算編成手法の改革が健全化に貢献したと指摘している。具体的には、当該時期の後半にあたる1990年代の90/93年包括予算調整法(OBRA90/93)以降の財政ルール(ペイアズユーゴー、裁量的支出に対するキャップなど)が有効に機能したとする。当時の政治思潮として,エリートの専門性を重んずる革新主義が支配的であったことが、財政ルールを通じた健全化に適合的であったという。しかしながら、現在の政治情勢は1990年代とは大きく異なる。(詳しくは第五回以降検討するが)分極化(polarization)が強まり、政党間の対立が国内の全ての対立を圧倒するようになっている。エリートの間で言語やゲームのルールを共有し、財政などの諸課題をほどほどのところに収めることを美徳とする思潮は退潮している。議会から内生的に健全化に向けた協力が生まれ、成果が生まれるとは考えにくい。例えば、オバマ政権時代、上下院の18人の議員からなる「財政再建のための超党派委員会」(National Commission on Fiscal Responsibility and Reform, いわゆる「シンプソン・ボウルズ委員会」)が設置された。同委員会は歳出減と歳入増を組み合わせたパッケージを採決(2010年12月)したが、両党から反対票が出て採択に至らなかった。民主党が社会保障等の削減、共和党が増税を受け入れない限り、話が前に進むことはない。第二のチャネルである市民はどうか。様々な民間団体(例:CRFB:the Committee for a Responsible Federal Budget、BPC:Bipartisan Policy Center)が、財政に関する分かりやすい情報の発信と財政教育に取り組んでいる。CRFBは両党の選挙公約の財政的影響を試算し、公表している(CRFB, 2024; トランプの選挙公約の財政的インプリケーションについては、コラム1.11を参照)。BPCのレイチェル・スナイダーマン(Rachel Snyderman)は、連邦信託基金が30年代はじめには底を尽くなどの良質の情報を与えると、社会保障改革のような党派性の強い問題で党派性が薄まるとし、市民教育の可能性を指摘する(Snyderman, 2024)。クリスティナ・ビッキエーリ(Cristina Bicchieri、ペンシルベニア大学)らは、アメリカ人の代表的サンプルへのサーベイを実施し、自分が人生を自律的(autonomous)に生きていると感じている人ほど、アメリカでは成功の機会が皆に開かれていると感じていることを示している(Aldama et al., 2021)。ビッキエーリは、貧しい世帯の子どもにも機会が開けていると思い込んでいるアメリカ人が多いが、実際には機会は平等ではないことを認識してもらう必要があるという。スナイダーマンやビッキエーリらは、より良い判断へと市民を導き、将来の財政健全化について市民の間にコンセンサスを形成する可能性を示唆する。議会を動かす力の源泉が市民であることは疑いがない。市民のチャネルへの働きかけの効果を高める方法は、民主主義の王道をいくものである。しかしながら、市民の財政への危機感は希薄であると言わざるをえない。ギャラップ社の調査によると、「国の今日直面している問題でもっとも重要なものは何だと思うか」という問いに対し、財政(Federal budget deficit/Federal debt)を挙げた者はわずか3%に過ぎなかった(Gallup, 2024; 2024年9月)。一番の関心事

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