22 ファイナンス 2024 Nov.た二極化がオフィスへと広がる。分配上の懸念への対策としては、リスキリング、新技術への課税、普遍的ベーシックインカム(UBI)の導入などが考えられる。リスキリングの重要性は言うまでもないが、オートメーションが製造業を襲った際の経験は、リスキリングが万能ではないことを教える(山縣, 2020)。課税は、オートメーションが負の外部性を持つとの議論に根拠を持つが、課税対象とすべき技術は変化が激しく、国際競争上の懸念から慎重な意見もある。UBIについては、先述の通り、アメリカでの支持は限定的である。理屈上、UBIが労働ディスインセンティブを持つ既存福祉を置換する場合、効率性の改善につながることはありうる。ただ、現実の導入論は既存福祉への追加を念頭においている。ディエゴ・ダリッジ(Diego Daruich、南カリフォルニア大学)らは、複数世代モデルにより議論の裾野を広げている。彼らによると、UBIの導入は、親の子への教育投資のインセンティブを損う。大学進学の有利さも損ない、社会全体を貧しくすると警告する(Daruich and Fernandez, 2024)。決定打となる対策を欠くなかで、アセモグルの提案するのが、人をエンパワーする方向でAIを活用するよう技術革新の方向性そのものを変えるというアイディアである(Acemoglu, 2023)。技術が外部性を持つ以上、その選択は公共的帰結を持ち、企業や技術者任せにせず、公共の意見に基づいて選択する必要があるという。アセモグルは、日本の経験を参考にできるかもしれない。足立大輔(オーフス大学)らは、1978年から2017年にかけての日本のロボットの導入と雇用のデータを用い、ロボットの導入がむしろ雇用を増やしていたことを明らかにしている(Adachi et al., 2022)。終身雇用制のもとでは、ロボット導入に際し、従業員と共存するよう工程上の工夫が施され、配転に際してもリスキリングに考慮が払われることは想像に難くない。しかしながら、アメリカの雇用慣行は日本とはだいぶ異なる。また、既存の従業員への保護を強めることは、技術導入の妨げともなる。実際、競争圧力の弱い日本のサービス部門ではIT化が進まなかった。不確実性の高い技術革新の最中には、柔軟な労働市場には捨てがたい魅力がある。アセモグルがAIとその悪影響にこだわる根柢には、格差を放置すると、民主主義を支える基礎が損なわれるという憂慮がある。民主主義の問題については、第五回以降、アメリカ政治を論ずるなかで取り上げる。(3)アメリカ経済は「至福」へと向かうかさて、「至福」についてはどうか。AIで人を代替することは本当に悪いことなのか。その先に労働のない世界を展望することができるのなら、むしろ素晴しいことではないか。労働のない世界を経済学者は至福と見なしてきた。ケインズの小論に『孫たちの経済的可能性』(Keynes, 1930)がある。この小論でケインズは、あと百年もすれば、経済成長の恩恵によって経済問題は解決されるか、すくなくともその解決が視野に入ると述べた。ケインズは、人間の必要を、毎日の食事のような「絶対的必要」と優越感の欲望を満たす「相対的必要」に分けた。百年もすれば、生産力の強化によって前者の「絶対的必要」は充足されるようになる。労働時間は大幅に短縮し、そのぶん余暇が生活の主要部分となり、それでも充分に「絶対的必要」を満たすことができるようになる。ケインズはその状態を至福と呼んだのである。アメリカ経済は至福に向かうのか。労働のことは、その需要と供給に分けて整理することが見通しを与える。労働需要(企業などの雇用者側)からみれば、やってもらいたい仕事の中身は変化するが、求人そのものが絶滅することはないだろう。ゴールドファーブらは、AIは予測のための機械にすぎないことを指摘する(Agarawal et al., 2018;Goldfarb, 2024)。一般に不確実性のもとでの意思決定は、次のように表現される。シグナル(s)を元に与えられる不確実なイベント(θ)の確率分布を所与として、効用(u)を最大化する行動(x)を選択する。AIは良い予測(F(θ|s))を生み出すことに貢献するが、効用関数(u)をどのように特定するかは「判断」であり、機械にはできない。例えば、AIが誰をレイオフするか決めるという話は誤解であり、実際には、どの関数を最適化するか(効用関数(u)の特定)決めるのは人間である。ゴールドファーブらの整理によると、AIが進んでも判断maxx∈X∫u(x,θ)dF(θ|s)
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