黒田東彦前日銀総裁、東京大学講演「財政金融政策に関する私の経験」(後編) ファイナンス 2024 Nov. 15アジア開発銀行の総裁の時に年に2回くらい会っていましたけれど、安倍総理はインド経済がすごく好きで関心があって、インド経済のことはよくしゃべりました。ただ、あまり金融政策について、安倍総理本人とは話さなかったです。かつての1997年までの法律では、総裁は大蔵大臣が任命し、その人をまた繰り替えることもできました。さらには金融政策について特定の政策を命じることができるということになっていました。しかし、1998年の日本銀行法で、そういうことが全部なくなりました。金融政策決定会合に財務省と内閣府の経済財政担当の人がそれぞれ出てきて、発言はできますけど、投票権はないわけです。今の日本銀行は政府から何か政策とかを注文されるということは全くないし、法律上できないわけですね。私は総裁を10年やりましたけど、圧力を感じたことは全くなかったですね。それから、デフレが非常に大きな問題であったことは誰もが認めていることで、1998年から2012年のデフレの期間に、経済が低迷するだけでなく、いわゆる就職氷河期と言われる状態になって、その時に大学を卒業した人たちが思うような会社に就職できなかった。大企業は組合と話して、正規雇用を維持しつつ賃金をどんどん下げていったんです。デフレの15年間、毎年平均1%くらい賃金が下がっていった。しかし、正規雇用の職員をクビにしないということで、ある意味で過剰雇用を抱えていたわけなので、大卒(新卒)の人はほとんど採用しないということになって、この15年の就職氷河期の影響は今でも残っているわけです。そういうことで、就職できなかった人たちは、そのままずっと元々のところで働いているわけで、その15年間の大きなマイナスというのはなかなか補償することができない、非常に大きな影響となりました。デフレ、インフレというものは色々な要因でなりますけども、日本銀行法に書いてある通り、あるいは世界の中央銀行もですが、物価の安定、すなわち、デフレとインフレを治すという責務、責任が中央銀行にはあります。この15年のデフレを是正するのができなかったというのは、日本銀行としてその責務を果たしてなかったということですから、そういう意味で、金融政策を総動員して金融緩和を行って、デフレを脱却するということが日本銀行としての最大の責務でした。そのために、さっき言ったように1月に2%の物価安定目標を出来るだけ早期に実践するために金融緩和をする、ということを日本銀行としてコミットしていくわけですね。それに合わせて、いろんな金融緩和をし、そして現在に至り、まさに物価も2%程度上がっている。しかも雇用も非常に良くて、人手不足なくらいです。因みに日本銀行法では単に物価を安定させろというだけではなくて、物価の安定を通じて国民経済の健全な発展に資するということですので、まさにそういう意味で、2013年以来の金融緩和によって、物価の安定、そしてそれを受けて、国民経済の健全な発展に資するということに繋がっているというふうに思っています。学生:生で総裁を見られてとても感動しますが、総裁が務めた10年間はどのようなモチベーションで取り組まれたのか教えて頂きたいです。例えば、日銀の金融政策決定会合の後の定例会見とかは、マーケットからの注目度もかなり高いですし、国民全員が一挙一動を見ていたと思います。一言一言がすごく重いというかプレッシャーがあったと思うのですが、どのようなモチベーションで取り組んでおられたのか教えて頂きたいです。黒田前総裁:確かに今おっしゃった通り、マーケットについては、皆関心を持っており、マーケットへの影響について個人的には本当に慎重に議論をするようにはしていました。ただ、金融政策自体は金融政策決定会合で2日間かけて議論して、しかもそれが公表されます。さらに、その議事要旨を次の金融政策決定会合で承認して、その後出すわけです。決定会合は透明な形でやっていますので、ある意味では、記者会見で何か言うことよりも公表に向けた会ともいえます。それから、金融政策決定会合の議論の中身が議事要旨に全部書かれています。十分に透明性を持って、金融政策の決定のプロセスや内容を、マーケットにも国民にも伝わるようにしていました。決定会合直後の記者会見では、特別なことを伝えないといけない、ということにはあまりなりませんでした。
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