ファイナンス 2024年11月号 No.708
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黒田東彦前日銀総裁、東京大学講演「財政金融政策に関する私の経験」(後編)*1) 『知遊』2017年1月の拙稿「私がたどった金融政策への道」参照 ファイナンス 2024 Nov. 11た。ところが、2013年3月になって、突然、日本銀行総裁の大命が下り、3選後わずか1年で退任するのは心苦しかったのですが、8年にわたるマニラ滞在を終えて東京に戻りました。日本の金融政策が直面してきた様々の困難な状況を見てきただけに、身の引き締まる思いでした*1。私が日銀総裁として初めて出席した2013年4月の金融政策決定会合で、政策委員全員が一致して量的・質的金融緩和政策(QQE)を導入することを決定しました。実は、私が総裁になる前の2013年1月の決定会合で、すでに、2%の物価安定の目標をできるだけ早期に実現することが決まっており、政府との共同声明にも盛り込まれていました。したがって、4月の決定会合では、1月の決定を実現するためにどのような金融緩和が必要かを検討し、マネタリーベースを年間60~70兆円増加させ、長期国債を平均残存期間7年程度でバランスよく年間約50兆円買い入れてイールドカーブ全体を引き下げることなどを決めました。このように、名目金利を引き下げるとともに、2年程度を念頭に置いてできるだけ早期に物価安定目標を実現するという強いコミットメントによって、予想物価上昇率を引き上げ、実質金利を大幅に引き下げることを狙いとしていました。この「異次元の金融緩和」に経済は敏感に反応し、行き過ぎた円高も是正されて経済実態も大きく改善したことにより、消費者物価上昇率も2014年央には(消費税を除いたベースでも)1.5%に達しました。しかし、2014年4月の消費税増税の影響などから消費の低迷が続いたところへ、1バレル=110ドル程度だった原油価格が年末にかけて50ドル台まで下落し、これによって消費者物価上昇率も低下していきました。そこで、2014年10月にQQEを拡大し、マネタリーベース年間約80兆円増、国債買い入れ額年間約80兆円、国債の平均残存期間7~10年などとしました。その結果、経済は持ち直し始めましたが、2015年夏ごろから原油価格がさらに下落し、消費者物価上昇率がさらに低下するとともに、予想物価上昇率も低下し始めました。2016年に入ると原油価格は一時30ドルを割るまでになり、人民元の大幅下落を背景に国際金融市場も揺れ動きました。そこで、日銀は2016年1月にマイナス金利の導入を決定しました。これは、銀行の日銀当座預金のごく一部(10~20兆円程度)に―0.1%のマイナス金利を付すものでしたが、イールドカーブ全体を大きく引き下げ、社債発行を増加させ、住宅ローンなどの銀行貸出も増加させました。ただ、一方で、超長期債金利の下落が保険会社や年金の運用益を引き下げ、これが消費者のマインドを冷やすおそれも指摘されました。そこで、2016年9月に、2013年以降のQQEやマイナス金利などの効果について総括的検証を行い、(1)金融緩和は予想物価上昇率の押上げと名目金利の押し下げによって実質金利を低下させ、経済・物価の好転をもたらしたが、(2)2%の物価安定目標は実現できておらず、その背景には、原油価格下落、需要の弱さ、新興国経済の減速と国際金融市場の動揺などから、実際の物価上昇率が低下し、適合的期待形成の要素が強い予想物価上昇率も弱含みに転じたことがあり、(3)適合的期待による予想物価上昇率の引き上げには時間がかかるだけに、フォワードルッキングな期待形成が重要であり、マネタリーベースの長期的な拡大にコミットするとともに、(4)マイナス金利と国債買い入れの組み合わせでイールドカーブ全体に影響を与えられることが明らかになったので、(5)経済への影響は短中期ゾーン金利が大きく、イールドカーブの過度のフラット化はマインド面を通じて経済活動に悪影響を及ぼす可能性があることにかんがみ、適切なイールドカーブの形成を促す必要があるとされました。このような総括的検証を踏まえ、2016年9月の金融政策決定会合において、長短金利操作付き量的・質的金融緩和への移行を決定しました。具体的には、日銀当座預金の一部に―0.1%のマイナス金利を適用するとともに、10年物国債金利がゼロ%程度で推移するよう、長期国債の買い入れを行うこととしました(「イールドカーブ・コントロール」)。また、2%の物価安定目標の実現をめざし、これを安定的に持続するために必要な時点まで、長短金利操作付き量的・質的金融緩和を継続するとともに、消費者物価指数(除く

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