PRI Open Campus ~財務総研の研究・交流活動紹介~ 36ファイナンス 2024 Oct. 93 「戦時期の経済思想からみる21世紀の財政理論」 牧野邦昭 慶應義塾大学経済学部教授2024年6月21日(金)2008年京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。2014年摂南大学経済学部准教授、2020年同教授を経て、2021年より現職。とです。今や有権者の半数が若い頃に経験した経済成長率が1.5%未満になっていることから、以前のように高い経済成長率を期待する有権者は減ってきているので、目標値を高く設定する必要性も低くなっているのです。堅実で達成できる財政再建案の策定は今こそ可能だと思います。そして、その堅実な目標の達成は、有権者の信頼獲得につながり、さらなる前進をもたらすのではないかと思います。1.財政の考え方と戦時期日本の財政財政の考え方には古くから様々なものがあり、現在では「現代的」あるいは「21世紀の」といった形で新しさを謳う考え方も見受けられます。それらは一見すると新しそうな考え方であっても、経済学史や経済思想史を振り返ると、過去に同じような思想があったことが多いことに気づかされます。現代の日本と同じように、多額の支出が必要とされる一方で、どのように資金を調達するかが問題となった戦時期の日本では、財政についてどのような経済思想が登場し、そこからどのような教訓が読み取れるのでしょうか。積極財政で知られる高橋財政前期では、多額の支出が行われたため歳出が歳入を大きく上回る状態でした。足りない分は新規公債を発行し、その大部分を日銀が引き受けていました。日銀券が大量に発行され卸売物価指数が上昇したことで、高橋財政後期では、インフレを抑える観点から健全財政が目指されます。しかし、高橋是清大蔵大臣は1936年の2.26事件で暗殺され、その後を受けた馬場財政以降、財政拡張に歯止めがかからなくなっていき、特に1937年以降、日中戦争の勃発で軍事費がさらに膨張していくことになります。2.財政拡張を支持する戦時期日本の経済思想財政拡張の前段階として、緊縮財政があったということも良く知られています。少し遡り1929年から1931年の浜口雄幸内閣は、円高水準である旧平価での金本位制への復帰(いわゆる金解禁)のため、緊縮財政を実施します。しかし、世界恐慌とタイミングが重なってしまい、結果として昭和恐慌を引き起こすことになります。また、軍事面では英米との協調路線からロンドン海軍軍縮条約に調印します。しかし、これが天皇の統帥権を干犯したとして批判されてしまいます。このように浜口内閣に対する経済・政治両面からの攻撃が強まった中、浜口首相は東京駅で狙撃され、翌年に死去します。その後、満州事変後に高橋是清蔵相は、金本位制からの離脱と日銀引き受けによる国債発行で財政支出を拡大し、景気を回復させます。大まかに言えば、浜口内閣において緊縮財政を行い、軍縮による英米協調路線を進みましたが、結果として非常にネガティブなイメージとなりました。そして、浜口内閣とは逆の政策が正当である、つまり、積極財政をした方が良いし、国際協調よりも日本一国の利害を前面に出すべきであり、軍拡をすべきである、という認識が一般には強くなっていきます。昭和恐慌後には、財政拡張を正当化する経済思想が多く登場しました。その1つとして、元陸軍軍人の小林順一郎により、国内経済と国際経済を切り離し、国内通貨を金と切り離していくらでも発行できる状態にして、大量に発行した通貨を使って国内経済を強化し、軍備の拡張を進めるという考え方が示されます。国内通貨を金と切り離して管理通貨制度に移行すること自体は、ケインズが主張していたことですが、小林の主張は独特なものです。すなわち、国内で流通する通貨と対外貿易に使われる通貨を分け、貿易では国際的信用の点から金準備に基づいて発行される通貨を利用することを主張しました。一方で、国内通貨は国家そのものへの信用に基づくものであり、「万世一系の皇室を奉戴」する日本では、いくら国内通貨を発行しても問題はなく、軍備拡張ができると主張します。国家的信用が維持されている限り通貨を大量に発行しても問題はなく、各種の問題を解決するための費用を賄うべきであるとの考え方は、MMT(現代貨幣理論)に近いとも言えます。小林の考えは一部の国家主義者には影響を与えたものの、経済学者や実務家からは顧みられませんでした。一方で社会に大きな影響を与え
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