PRI Open Campus ~財務総研の研究・交流活動紹介~ 36ファイナンス 2024 Oct. 91 「世論は財政再建に支持を与え得るか」 松本朋子 東京理科大学教養教育研究院准教授2024年5月24日(金)2016年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。2017年ニューヨーク大学客員研究教授、同年日本学術振興会海外特別研究員等を経て、2023年より現職。期的なリスクマネージメントとして財政の問題を考えておくということです。中央銀行が国債を大量に保有することで「r-g<0」の関係が固定化され、政府の債務安定に寄与していることをもって、政府債務削減の必要性が低下していると言うのは短絡的な考え方だろうと思います。イギリスで第二次世界大戦後、2回目に300%近くへ達した後は、明示的な形で財政再建が成功したとは言いがたく、インフレ率がかなり高い状況が続いたことで、過去のストックとしての政府債務がインフレにより減価されたということも事実だろうと思います。これは当然のことながら、ある程度国民の犠牲を強いる形での債務削減になりますので、正しいやり方なのかどうかということが問われているところだと思います。1.世論の支持を得ることが重要なぜ財政政策には人々の合意が不可欠なのでしょうか。理由の1つは、我が国が民主主義国家であり、国家が財政を動かす際には議会の議決が必要であるという財政民主主義が重んじられているからです。議会の議決を得る重要性は20世紀後半以降、以前にも増して高まっています。公共財の供給にとどまっていた財政の役割は拡充し、今や税と給付を通じた富の再分配機能をも担うようになっているからです。格差を示すジニ係数を見ますと、当初所得ジニ係数からは、この半世紀近く所得格差が拡大し続けている現状が確認できます。一方、再分配所得ジニ係数を見ると、所得格差の拡大は政府の介入により緩められており、財政がより大きな役割を担うようになっていることが確認できます。先行研究によりますと、平均所得よりも高い所得を得ている有権者にとっては再分配機能の拡大が損害になり、平均所得よりも低い所得を得ている有権者にとっては再分配機能の拡大が利益となる、とされます。従って、財政では予算配分を巡る対立だけではなく、財政の規模を巡って有権者の間で意見対立が生じ得ることになるため、議会での丁寧な議論に基づく意思決定や、より多くの幅広い支持を得ることが、財政政策の決定には不可欠だと言えるのです。2.世論は財政再建に反対なのか財政再建を巡る世論研究によりますと、1990年代を境目に1つの変化が見られます。1990年代以前は有権者は財政再建に賛成しないという議論が主流で、1975年にノードハウスが発表した政治的ビジネスサイクル(PBC)という仮説を立証する形で進められてきました。この仮説は、選挙のある年には政府は財政赤字を拡大させる傾向があるというものです。しかし、1990年代以降、PBC仮説に反する実証研究が発表され、有権者が財政再建に賛成する場合もあるという議論が新たに出てきます。なお、PBCに関する実証研究の結果は、現在に至るまで仮説を支持するものと仮説を支持しないものの両方があり、コンセンサスは得られていません。その上で、日本における財政政策と世論にはどのような関係があるのでしょうか。2000年代前半の市町村レベルの財政と選挙の関係を分析した先行研究によると、議会選挙と財政赤字の拡大の間には関係性がないものの、市町村長選挙と財政赤字の拡大には関係性があるということが統計的に確認されています。そして市町村長選挙のある年に生じる財政赤字の拡大は、資本的支出の拡大によって生じる傾向も明らかにされています。ではこの結果から、日本の有権者が財政赤字を支持していると直ちに推測することができるでしょうか。実はそうとも言えません。財政再建に日本人の多くが反対しているという理解には、誤解があると思われます。1983年の時事世論調査特報によりますと、「財政再建のメドがつく」という意見に、「そうなる」を選んだ人の割合は11.2%、「そうならない」は52.6%、「わからない」は36.2%でした。この世論調査の結果は財政赤字が深刻であるという認識が、1980年代にはすでに半数あまりの日本人に共有されていたということを示唆しています。さらに、現在では財政赤字の深刻度が認知されているだけでなく、改善を求める声
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