図5 減幅後の本町通りプロフィール大和総研主任研究員 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。主著に「公民連携パークマネジメント:人を集め都市の価値を高める仕組み」(学芸出版社) 86 ファイナンス 2024 Oct.ナカネ洋装店前通り」とある。洋装店は気比神宮の南にあった。その後、同じ本町通りを南下し、昭和62年(1987)に敦賀市本町2丁目汐屋金物店前本町通りとなる。金物店は、昭和52年(1977)に旧富貴町から移転していた福井銀行敦賀支店の隣にあった。本町通りの南端、駅前通りとの交差点の北西角に現在アル・プラザ敦賀がある。昭和48年(1973)の開店当初は平和堂の敦賀店(第8号店)だった。平和堂は滋賀県彦根市が発祥の総合スーパーで、敦賀店は滋賀県外で初めて出した店舗だった。2000年の建て替えとともにアル・プラザに変更された。その後、自動車の普及とともに都市機能の郊外移転が進んだ。木崎通りを中心にロードサイド店が集まった。平成2年(1990)にはショッピングモールのポー・トンが開店。地元の協同組合つるがセントラルプラザと中部地方を本拠とするスーパー大手、ユニーの共同開発によるものだ。核店舗はユニーの総合スーパー業態のアピタだった。現在はMEGAドン・キホーテUNY敦賀店になっている。郊外化が進むにつれ本町通りをはじめとする旧来の中心市街地の衰退が目立ってきた。平成21年(2009)12月を始期とする「敦賀市中心市街地活性化基本計画」では、空き店舗問題が解消しない原因として「商店主の高齢化による空き店舗化が増加していること」「所有者の意向により賃貸不可としている空き店舗があること」を挙げている。計画期間は平成27年(2015)3月までだったが、その翌年の平成28年(2016)の最高路線価地点は「白銀町敦賀駅前広場通り」となり、一等地の座を駅前に譲った。本年の駅前の路線価はm2当たり69,000円だった。前の最高路線価地点のアル・プラザ前が同64,000円、その先代の気比神宮前が同57,000円である。郊外で最も高いドン・キホーテ前は59,000円で昭和時代の一等地より高い。新幹線とバイパスと「歩く街」今年3月16日、北陸新幹線が敦賀駅まで延伸され、様々な面で変化がみられる。新幹線駅の裏手には東口広場に加え、駅から国道8号線敦賀バイパスや北陸自動車道に連結するアクセス道ができた。車社会が一段と進みそうな一方で、かつての中心市街地の「歩く街」への再生もうかがえる。平成20年(2008)に敦賀バイパスが開通し、旧8号線である本町通りの通過交通が減ることが見込まれた。そこで、気比神宮からアル・プラザまでの900mの区間の車道を4車線から2車線に減らし、代わりに歩道をアーケードから大きく張り出す形で拡げることにした。本町通りに続く駅前通りは車道の駐車帯が廃止され、歩道が拡幅された。本町通りと駅前通りは「シンボルロード」と称され、松本零士作の「銀河鉄道999」、「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクターのモニュメントが設置されている。敦賀が港(船舶)と鉄道の街であることにちなんだものだ。歩く街への再生が進んだことで高まったのは住民の心Well-being地よさだけではない。街歩き観光の魅力も高まった。地域資源に恵まれ観光振興の期待も高い。例えば、赤レンガ倉庫の貿易港や鉄道遺産からなるレトロな雰囲気といえば横浜や門司が知られるが、敦賀の場合、これらは平成11年(1999)の敦賀港開港100周年記念事業「つるが・きらめきみなと博21」の会場として整備された金ヶ崎緑地の周辺にある。敦賀の赤レンガ倉庫は元々紐ニューヨーク育スタンダード石油会社(現・エクソンモービル)が使っていたもので、明治38年(1905)築だ。現在はレストランとジオラマ館になっている。鉄道遺産としては初代の金ヶ崎駅を模した「敦賀鉄道資料館」がある。実際に金ヶ崎駅があった場所には、駅を含めた4棟を模した「人道の港 敦賀ムゼウム」がある。杉原千畝が発給した“命のビザ”を携えたユダヤ難民が敦賀に入港したことにちなむ。
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