約100年前の造幣局(大正10(1921)年撮影、造幣局所蔵)80706050403020100貨幣製造枚数(枚)年度末従業員数(人)(千万枚)貨幣製造枚数と従業員数の推移(大正8(1919)-大正13(1924))(人)1,8001,6001,4001,2001,0008006004002000〈ラッキー・ルーニー Lucky Loonie〉〈100年前の造幣局〉(4)100年前のコイン 64 ファイナンス 2024 Oct.6ペンス・コインは、1551年、イギリスにおいてエドワード6世の時代に銀貨として流通が開始されましたが、1947年に白銅貨となり、1971年、貨幣が10進法化されることを機に、1970年を最後に発行はされなくなりました(1980年半ばまで、2.5ペンスとして法的には通用しました。また、現在も、収集用貨幣として製造したものを英国造幣局が販売しています。)。カナダで発行されている1ドル・コインは、裏面に刻まれている鳥(loon、かいつぶりなどの水潜り鳥)にちなみ、「ルーニー」(loonie)と呼ばれています。2002年、ソルトレークシティー冬季オリンピック競技大会が開催された際、スケートリンク設営を担当したカナダ人スタッフが、アイスホッケーリンクの氷に、センターを決めるために「ルーニー」を埋め込みました。その後、カナダは男女共にアイスホッケーで金メダルを獲得。優勝後、氷に埋められていたルーニーは取り出され、「ラッキー・ルーニー」として大切に保管されることになりました。当館では2002年銘の「ルーニー」は所蔵していないことから、本展では、バンクーバー2010冬季オリンピック競技大会の開催に合わせて発行された、ルーニー(1ドル記念貨幣)を紹介しました。コインは、時代を映す鏡にもなります。本展では、今からちょうど100年前に発行された日本や外国のコインを展示し、コインに関連してその時代を振り返ってみました。日本では、金本位制が布かれ金貨も発行されていた100年前の大正13(1924)年、造幣局では2度に渡る大規模な人員整理が行われました。第一次世界大戦(1914-1918)は日本に戦争好況をもたらし、この時期の増産要請に応えるためには未だ製造能力が不足していたため、造幣局では人員増・作業時間の延長を行うとともに、設備拡充を検討、それまでの年間製造能力2億枚を倍増することを目標に、大正8(1919)年から4か年計画で設備拡張を行い、大正10(1921)年には職員数が千人を超えました。しかし、黄金期もつかの間、大戦景気の反動で、大正9(1920)年3月に株式市場が大暴落し、戦後恐慌が発生したことや、大正12(1923)年9月1日に発生した関東大震災により、日本国内で大不況が起こったことなどが原因で、貨幣の需要が激減、その製造量も減り、多くの職員を解雇することになりました。100年前、このように造幣局にとっては厳しい状況となっていましたが、世界ではどのようなコインが造られていたのでしょうか。ここでは、本展で展示したコインのうち、当時の時代背景を象徴する、海外2か国の対照的なコインを紹介したいと思います。〈米国1ドル銀貨(1924年銘)〉1921年から1928年まで、そして1934年から
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