翁の顔が刻まれている金貨である『翁小判』(左:縦54.83mm〜横47.68mm。量目(重さ)14.68g)と『金銀図録』陸(巻之六)におけるその図(右)。近藤守重が、日本古来の金銀貨幣を図録にして発行した『金銀図録』は全7巻あり、この中で玩賞貨幣については、巻之四「各国品」、巻之五「尚古品」、巻之六「玩賞品」として紹介されている。展示した6枚の寛永通宝(17〜18世紀)。直径22.91〜26.04mm、量目2.95g〜4.15g。日本各地で造られた寛永通宝は、量目や字体等にばらつきや違いが見られた。(1)芸術品になったお金〜玩賞貨幣〜(2)あの世で使うコイン〜六道銭の歴史〜奥深いコインの世界にようこそ! 62 ファイナンス 2024 Oct.室町時代の末から江戸時代にかけて造られたと考えられるお金の中に、いわゆる「玩賞貨幣」とよばれるものがあります。「玩賞」とは、そのものの良さを味わうこと、鑑賞すること、という意味の言葉で、玩賞貨幣とは、お金として使うために造られたものではなく、主に鑑賞用に造られた、美術品ともいえる特殊なお金、ということになります。製作年代や製造場所が不明なものが多いのですが、これらのお金は江戸時代に書かれた『金銀図録』(きんぎんずろく)において、「玩賞品」などとして紹介されているものがあります。『金銀図録』は、江戸幕府の書物奉行をしていた近藤守重(1771~1829)によって文化7(1810)年に書かれた、いわばコインの図鑑で、日本古来の金貨や銀貨、約550点が紹介されています。謎の多い玩賞貨幣ですが、今回は、造幣博物館に所蔵されている中から、『金銀図録』にも紹介されている『翁小判』『謙信大判』『牛舌大判』『女院雛大判』『近江戸笹小判』『土佐小判』『鶏小判銀』『女院花成銀』の8点を紹介しました。大判や小判といった名称がついているものの、その形状は、良く知られている大判や小判とは異なります。『翁小判』など、精巧な細工を施して造られているものもあり、現代のコレクター向け収集用貨幣のような位置付けのものもあったのではないかと考えられます。日本では古くから、死者を葬るときに棺の中にお金を入れる風習がありました。このお金は六道銭(ろくどうせん/りくどうせん)と言われ、三途の川の渡し賃に使うものとされていました。冥土に行く途中にあり、死者が初七日に渡ると言われている三途の川ですが、罪の浅い者が渡る浅水瀬、善人が渡る橋渡(有橋渡とも)、悪人が渡る強深瀬の3種類の川があることから、三途の川と呼ばれています。お金を持たない者が来た場合は、渡し賃の代わりに、川のほとりに居る奪衣婆と懸衣翁という二人の鬼に衣類をはぎ取られると言われていたことから、死者が三途の川を舟で渡るために必要なお金として、棺の中に六道銭を入れる風習が生まれたと言われています。この風習は、江戸時代に一般化したようですが、江戸時代以前から行われていた地域もあります。その背景には、仏教思想が人々の間に広まったことや、貨幣の流通量が拡大したことが挙げられます。棺の中に入れる枚数については、六道(仏教における、衆生がその業によって輪廻転生する地獄道・餓鬼道・畜生道・阿修羅道・人間道・天道のこと)の「6」に関連付けて、一文銭6枚とすることが一般的でしたが、枚数やお金の種類は、地域や時代によって様々でした。本展では、17世紀~18世紀ごろの江戸時代に鋳造された寛永通宝一文銭(銅銭)を6点、展示しました。一文銭は、江戸時代の庶民がよく使用していたお金ですが、死後の世界でも必要な、大切なお金であったのです。なお、宗派や地域によって違いはありますが、六道銭を棺の中に入れる風習は現在も続いています。しかし、火葬には適さないため、紙で作られた銭が使われていることが多いようです。
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