アメリカにみる社会科学の実践ファイナンス 2024 Oct. 59*4) この考えは運の平等主義と呼ばれる。筆者は、Hiromitsu(2024)で、この考えの社会実装のためにクリアすべき論点を検証したことがある。 それでも、バイデン政権の前半二年間の経緯は、事前の配分の頑健さを印象づけるものであった。三つの論拠のうちの第二のもの、すなわち、連邦議会の政治家は事前の配分は受け入れたが、再配分には乗り気ではなかったのである。アメリカ救済計画は危機時の時限措置であり、端的な再分配が盛り込まれていた。失業手当の増額のほか、医療保険制度の強化、児童税額控除、勤労所得税額控除、フードスタンプ(SNAP)の拡充などが実行に移された。そして、より本格的な再分配として、3.5兆ドルに及ぶBuild Back Better法案が提案され、アメリカ救済計画に盛り込まれた拡充の更なる延長のほか、有給休暇の創設などが盛り込まれた。しかしながら、同法案がインフレ抑制法へと縮小する過程で、医療制度改革以外の多くの項目が脱落した。そして、生き残ったのは産業政策であった。インフレ抑制法、同時期に成立したCHIPSおよび科学法は、気候変動対策、安全保障政策であると同時に、国内製造業の復活を通じ、まともな仕事と所得を労働者に与えようとするものである。イエレンがこれらを「現代供給サイド経済学」と呼んだことはすでに述べた。バイデン政権前半二年間の顛末は、努力を尊び、再分配を嫌う、アメリカの経済哲学の頑健さの証左である。普遍的ベーシックインカム(UBI)は、アメリカでは人気のない考えである。バーンスタインでさえ、UBIは真に支援の必要な人から資源を奪うか、さもなければ、増税を求めねばならず、賛同できないとする(Open to Dedate, 2017)。アメリカのリベラルとは、再分配を人々に受容してもらうため、一通りではない工夫を凝らしてきた人たちである。ジョン・ロールズは無知のベールという装置を考案した(Rawls, 1971)。ロナルド・ドゥオーキンは、選択運と自然運の区別から議論をはじめた(Dworkin, 2000)。選択運とは、ギャンブルの結果がどうであるかという問題である。自然運とは、意図的に取ったわけではない自然のリスクの結果の問題である。選択運では、納得づくでリスクを取ったのであるから、その結果が悪いものになっても、救済しない。他方、自然運の結果が悪いものであれば、その謂れのない不遇は救済の対象となる*4。事前の配分は、これらリベラルの知的格闘の延長上にある。(3)「現代供給サイド経済学」は格差問題を解決するかイエレンは、インフレ抑制法成立の一周年(2023年8月)の演説で、同法が「アメリカ全土のコミュニティに経済的機会を拡大している」とし、自身が「クリーンエネルギー産業が全国に拡大している様子を見てきた」と述べ、同法が「特定のコミュニティに投資するビジネス事案を支援する場所に基づく(place-based)インセンティブを提供する」と述べた(Yellen, 2023)。イエレンのもとで財務省チーフエコノミスト(代理)を務める、エリック・ノストランド(Eric Van Nostrand)らは、「場所に基づく分析」との副題を持つレポートで、インフレ抑制法によって、クリーン投資が経済的に恵まれない地域(賃金、所得、雇用率、大学卒業率が平均以下の地域)に集中していることを明らかにしている(Nostrand and Ashenfarb, 2023)。例えば、同法成立後のクリーン投資額の81%が、平均週給以下の地域で行われているという。また、図1.11にある通り、同法成立後、民間製造業建設支出(Private Construction Spending)が、急速に上昇に転じていることも「現代供給サイド経済学」の働きの傍証となるかもしれない。「場所に基づく」政策とは、民主党に近い経済学者たちが、ラストベルトなどの荒廃した地域の振興を目指し、個人を対象とする政策とは別の体系として探求してきた政策である(Shambaugh and Nunn, 2018)。探求は、(税額控除を含む)補助による産業政策として見事に結実した。産業政策が成功した自身の経験として、アメリカは第二次大戦中の例を挙げることができる。アンドリュー・ガリン(Andrew Garin、カーネギーメロン大学)らは、軍需工場建設が、高賃金の製造業と地域雇用の持続的増加を引き起こしたことを明らかにしている(Garin and Rothbaum, 2024)。影響は世代を超えて継続し、工場の来た郡の男性の子どもの成人後の年収は、1970-80年代になっても2.8%上昇していたという。ただ、これまでに明らかになったのはインプットや
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