ファイナンス 2024年10月号 No.707
61/108

アメリカにみる社会科学の実践ファイナンス 2024 Oct. 57ジョン・フリードマン(John Friedman、ブラウン大学)らは、匿名化された入学試験データと、所得税記録、SAT等のテストスコアとをリンクさせ、アイビー・プラス(アイビーリーグ及び同等校)へ入学が、学生の将来の成功と関わりのない基準により決められていることを明らかにしている(Chetty et al. 2023)。成功と関わりがないが、入学でものをいう基準とは、特定の私立高校への通学や、両親がその大学の卒業生であること、リーダーシップ活動をしていること、スポーツ活動である。成功と関わりがあるが、十分に考慮されていない基準がテストのスコアであった。現行の入学の仕組みで割りを食っているのは中間層であった。同じスコアの学生の間でも、高所得層と低所得層では中間層よりも入学の確率が高まる。中間層は親が卒業生である割合が低く、スポーツ学生も少なく、低所得者に多いアファーマティブ・アクションの対象者も少ない。アイビー・プラスへの入学は学生に大きなアドヴァンテージを与える。アイビー・プラスに進学すると、所得分布の上位1%に到達する確率が60%上昇し、エリート大学院に進学する確率が約2倍になり、一流企業に就職する確率が3倍になるという。フリードマンらによると、仮に同じスコアの学生が、同じように大学に入ると想定すると、世代間をまたいで伝わる格差の15%が解消できるという。さらに低所得の者に少しのだけアドヴァンテージを与えると、25%が解消するとする。 率、少ない子どもの数)や健康状態(肺がん、薬物摂取、自殺)にまで及んでいた(von Wachter,2020)。格差はマクロ経済の足も引っている。CEAの2023年の大統領経済報告(CEA, 2023)は、男性の労働参加率の減少傾向に触れている。働き盛り(25-54歳)の労働参加率は、1980年には94%程度あったが、2014年4月には87.9%まで低下した。最近は労働市場のひっ迫により回復しているものの、依然歴史的に低い水準にある。ベビーブーマー(1946-1964年生まれ)の退出の最中、働き盛りが労働参加しないことは経済成長を制約する。CEAが、労働参加の低下の重要な原因として挙げるのも、オートメーションと貿易なのである。(2)対策の基本哲学と実際ジニ係数をみた際に指摘した通り、アメリカでは増勢にある格差を再分配により抑えている。アメリカは元来再分配には消極的な社会である。再分配を求める切実な声と小さな政府という国家観との間で緊張が高まっているのは、故なきことではない。この緊張のもと、経済学者や哲学者の間で、市場所得の再配分から、事前配分(pre-distribution)へと議論の重心を変える動きが強まっている。ジェイコブ・ハッカー(Jacob Hacker、イエール大学)によると、再分配が、市場所得の不平等を是正するために税制など用いることであるのに対し、事前分配は、市場所得の不平等な分配そのものを小さくし、事後的な再分配が必要ないようにすることを目指す(Hacker, 2011)。イギリスの労働党党首(2012年当時)のエド・ミリバンドが事前の配分を口にするようになり、財政学でも事前の再配分は主流の考えになっている。事前の配分論者は、教育などの自ら稼いでいけるようにする支援を重視する(コラム1.4を参照)。コミュニティの環境改善を通じて経済状態の改善を図る考えも事前の配分に近しい考えである(コラム1.5参照)。事前の配分は三つの論拠を持つ。第一は、再分配にはインセンティブや情報の問題があることである。第二は、事前の配分が、再分配よりも人々や政治家から受容されやすいことである。第三は、道徳的に再分配は不適切で、機会の平等の方が優れていることである。努力をしてものを得る方が、単に与えられるよりも尊いと考える。事前の配分に対しては、ラビ・カンバー(Ravi Kanbur、コーネル大学)ら伝統的平等主義者から反論が出ている(Kanbur, 2022)。例えば、事前の配分のためにも資源が必要であり、その資源の確保が普通の再配分と同じ問題を生むという。コラム1.4:大学と格差−置き去りにされた中間層事前の配分論者が好む介入の最たるものが教育である。十分に開発されずにいる、人々の能力に開発の機会を与えることは、社会全体にとっても大きなゲインが見込まれる。幼児教育の重要性が指摘されて久しいが、大学教育も人々の生涯所得に大きな影響を与える。

元のページ  ../index.html#61

このブックを見る