ファイナンス 2024年10月号 No.707
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アメリカにみる社会科学の実践ファイナンス 2024 Oct. 55 る(Eggertsson and Kohn, 2023)。彼らによると、2020年8月に採択された政策枠組み(FOMC, 2020)には二つのアシンメトリーが存在した。ひとつはFAIT (Flexible Average Inflation Target)である。FAITは一種のフォワードガイダンスである。2%の物価目標を時間をかけて達成することを目指し、インフレ率が持続的に目標を下回っている場合、適度に目標を上回るインフレを容認する。もうひとつは、最大雇用(maximum employment)に関するアシンメトリーである。新しい政策枠組みでは、従前の最大雇用からの乖離(deviations)を軽減することから、最大雇用からの劣後(shortfall)を軽減することへと目標を変更している。そして、「雇用の最大水準とは、a broad-based and inclusive goalで、労働市場の構造とダイナミックスに影響する非金融的要因に大きく依存するものであるから、直接測ることができず、時とともに変化するもの」であると、最大雇用の定義を曖昧化している。この見直しは、完全雇用の追求によるマイノリティの労働条件の改善という、バーンスタインやイエレンらのアジェンダに沿っている。政策枠組みの見直しは、2015年の利上げが早すぎたとの認識に基づき、平坦なフィリップスカーブ(物価上昇懸念の後退)、低下する均衡金利(r*)(ゼロ金利制約への懸念)という経済前提の変化に応じて考案された。コーンとエガートソンは、これらの見直し、特に最大雇用のアシンメトリーが、引き締めへの転換を遅らせたと指摘する。他方、FRBの執行部に近い経済学者からは、2021年の段階では失業率はパンデミック前の水準にまで下がっておらず(図1.3)、2021年中の利上げを逸したことを誤りであるとまでは言えないとの見解が聞かれる。2022年1月までFRB副議長を務めたリチャード・クラリダ(Richard Clarida、コロンビア大学)は、退任後、(2020年8月の新枠組により)9月のFOMCで設定したガイダンスに基づけば、2021年12月には利上げの条件は満たされており、テイラールールに基づく場合から3か月の遅れに過ぎないと指摘した(Clarida, 2023)。そして、実際の利上げが2022年3月にずれ込んだのは、資産購入のテーパリング(段階的縮小)の終了を待って利上げをしたからだと釈明した。実際、インフレの一部はサプライチェーンの混乱に由来するもので、その限りでは、インフレが一時的性質を持つことは間違いではない。バースタインの率いるCEAは、2023年11月に公表した分析で、その時点までのインフレ率低下の80%以上はサプライチェーンの修正によるものだと指摘した(CEA, 2023)。金融政策にはタイムラグがあるため、2023年11月までのインフレ減速は金融引き締めの効果というより、サプライチェーンの修正によるものという分析は理に適っている。ただ、CEAが目を瞑っているのは、財政刺激がインフレの主因であるという、不都合な真実である。アメリカでは、幸いにもインフレ期待はアンカーされてきた。ブランシャールのバーナンキとの共著論文での指摘は杞憂に終わりそうである。しかしながら、財政インフレに対応するために、金融政策に過度な負荷がかかったことは間違いない。この事実は、インフレ率がサプライチェーンの修正により下がったと指摘したところで変わるものではない。(3)小括アメリカ救済計画は、時機を逸した過大な措置であった。インフレは、マクロ経済が資源制約のもとにあるという、当然の事実を改めて思い起こさせた。インフレの主因は財政政策であったが、金融政策も迅速に引き締めに移ることができたわけではない。2025年8月のジャクソンホール会議に向けて、今後の金融政策の政策枠組みのあり方が議論されることになる。物価目標に関するアシメトリーの位置づけは、ゼロ金利制約下に経済が戻ってくるかにもよる。最大雇用のアシンメトリーの今後については、金融経済学の論理だけでは決めがたいところがある。黒人経済学者のひとりグレイ・フーバー(Gray Hoover、テュレーン大学)らは、経済ショックに対し、黒人の雇用率は白人の二倍近くも影響を受けると指摘している(De et al., 2021)。その背景には、雇用期間(セニオリティ)の短い者からレイオフの対象となる慣行があり、人種差別によって黒人の雇用期間は短くなりやすいという。彼らの金融政策への期待は高い。バイデン政権の間に、ふたりの黒人FRB理事が誕生し、その後、そのひとり、フィリップ・ジェファーソンは金融政策担当の副議長に昇格している。その他、ブラン

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