ファイナンス 2024 Oct. 45*1) 前在アメリカ合衆国日本国大使館公使(2021年5月〜2024年7月)。博士(経済学、一橋大学)。なお、本稿のうち、意見にわたる部分は個人の見解であり、組織を代表するものではないことをお断りしておく。 I.経済・財政1.2020年代前半の経済政策の概観(1)コロナ禍への対応財務総合政策研究所客員研究員 廣光 俊昭*1アメリカ合衆国(以下、「アメリカ」という。)は、ながく世界一の経済大国であり、軍事大国でありつづけている。理工系の科学技術にとどまらず、経済学をはじめとする社会科学でも世界をリードしている。他方、現在のアメリカは、内部では格差と分断に悩まされ、外部では非民主主義勢力との競争に直面している。本稿の狙いは、格差、分断、競争という現下の課題に際し、アメリカの社会科学者たちが、どのように問題を把握し、解決しようとしているのかを検証することにある。アメリカで興味深いことのひとつは、科学的方法で課題に立ち向かう実践の一貫性である。科学的方法とは、問題を特定し、解決するための方法論をロジックの筋道に沿って考え抜く営為のことをいう。アメリカにおける実践を通じて、社会科学が社会的課題にどのように役立っているのか理解を深めたい。アメリカの抱える多くの課題について定まった解決策が見出されているわけではない。ただ、幸い現在までの間に時に競合しあう複数のアプローチが姿をあらわしている。現在は歴史が作られつつあるユニークな時期である。本稿では、社会科学者の間に競合関係を意識的に見出し、それぞれのアプローチがどのようなロジックを持つのか理解する手がかりとする。例えば、読者は、ジャレッド・バーンスタイン(Jared Bernstein、大統領経済諮問委員会(CEA)委員長)とローレンス・サマーズ(Lawrence Summers、ハーバード大学)が並べられているのをみるだろう。*1本稿は計六回にわたる連載で、今回と次回では、アメリカ経済・財政について議論する。主に国内の視点から議論し、インフレなどのコロナ禍の顛末から、格差問題を検討するほか、第二回では、技術革新による経済のダイナミズムと財政を取り上げる。第三回、第四回では、アメリカ経済の世界との関わりを検討する。中国などとの競争が世界経済との関係を変え、新しい世界経済が姿をあらわし、地経学という新しい学問が生まれつつある。産業政策とも密接な関係を持つ国際貿易のほか、貿易や投資の規制、経済・金融制裁などよりハードな経済安全保障の問題を取り上げる。第五回と第六回では、分断などのアメリカ政治の課題について述べる。アメリカ政治を舞台として、民主主義の現在と将来を考える。はじめに2020年代のアメリカの経済政策の大筋をみる。バイデン政権の内部から政策を推進した経済学者として、特にバーンスタインとジャネット・イエレン(Janet Yellen、財務長官)を取り上げ、政権への外部からの批判者としてサマーズとオリビエ・ブランシャール(Olivier Blanchard、MIT)に注意を払う。彼らのうち、バーンスタインについては若干の紹介が必要であろう。バイデン政権はリベラルの経済学者を多く登用しているが、大統領との近さと政策の体系性で傑出した存在として、バーンスタインを外すことはできない。彼は政権当初からCEA委員を務め、2023年6月に同委員長に昇格した。中間層の強化というアジェンダを売り込むことでバイデンに接近し、バイデン副大統領の経済顧問を務めた。彼の年来の主張は議会証言などにみることができるが、その特徴は、格差是正のためにマクロ経済政策から再分配まで広範な政策を動員する包括性にある(Bernstein, 2017 2019;Bernstein and Bentele, 2019)。マクロ経済政策では、アメリカにみる社会科学の実践―2020年代の経済・財政(1)
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