ファイナンス 2024年10月号 No.707
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日本語と日本人(第7回)ファイナンス 2024 Oct. 35*77) 例えば、すさんだ世の中を明るくする電灯を発明したのはエジソンだという教理の「エジソン教」といったものが生まれた。*78) 島薗進、2020、p8−9、202、224*79) 本稿第2回参照*80) 江上波夫、梅原猛、上山春平、1982、p346。抱合語とされるのは、バスク語やアメリカインディアンの言葉。*81) 江上波夫、梅原猛、上山春平、1982、p344、346、357、367、420―22。神前に生贄を捧げないのも、アイヌと共通している。大澤真幸氏によると、狩猟採集社会や原始的な焼き畑農業の社会では、生贄を捧げるような供犠は報告されていない(「〈世界史〉の哲学3」講談社文芸文庫、2023.11、p450)。 るものも出てきた。他方で、石原莞爾や宮沢賢治が所属した国柱会などのように、国家神道や天皇崇敬を取り込むものも出てきた。国家神道が否定された戦後には、「神々のラッシュアワー」といった状況になり*77、立正佼成会やPL教団、創価学会などが盛んになっていった。そのような新宗教では聖職者と一般信徒との差が小さく、信徒は入信するとすぐに布教者になり、周りに信仰を広めるものが現れてきた。それは、この世での身近な生活がそもそも偉大な救いの境地に通じるという教えから自然に出てきたもので、教団の発展に大きな力になっていった*78。そういった多様な新宗教は、八百万の神の下、霊魂は不滅であると考える日本人にとっての現代版の氏神信仰と言えよう。最近の霊能や神秘的存在との交流を重視するスピリチュアルなものの流行も、そのような日本人の宗教意識の中に位置づけることができよう。そして、そのような宗教意識を支えているのが、主語を持たず、主体が「世間」の中で変幻自在に立ち現れてくる日本語の言語空間だと考えられる。「ほら」が豊富で想像の飛躍がふんだんにみられる日本語の世界では、変幻自在に立ちあらわれて来る主体の中にスピリチュアルなものがあるのは当たり前だからである。アイヌ語は、自己の感情を表す言葉が大変に多く、精神内容を多分に持った言葉で相手の気持ちを推し量日本人の宗教意識の源流としてのアイヌ文化最後に、日本人の宗教意識の源流に縄文やアイヌ文化があるのではないかということについて触れておくこととしたい。今日、妖怪や修験道、陰陽道への関心の高まりの中で、沖縄やアイヌの文化、縄文時代の文化の宗教性が高く評価されるようになってきているという。梅原猛氏は、縄文の文化を残しているのがアイヌの文化だ、日本の律令以前の宗教の世界は、アイヌの宗教の世界とかなり近いものではなかったかとしていた。る言葉があふれているといった点で日本語と共通点が多いという*79。日本語と同様に擬音語や擬態語も多いという。アイヌ語でも古い日本語と同じくイワはただの石ではなくて、神様の依る石だという。そのようなアイヌ語は人称接続詞をとる抱合語*80というもので、日本語にある動詞、助動詞の活用がないといった点が日本語とは異なっているのだが、日本語の原型ではないかともされている。日本語は、弥生時代に大陸から新しい言語が入ってきて変質したというのだ。梅原氏によれば、伊勢神宮の遷宮儀式の基本は酒を振りかけるものだが、アイヌの作法にそっくりだという。アイヌの作法では、お酒を神様にあげて、拍手(かしわで)を打つ。木幣を高々と上げて祈願の文句を添えて左右に力強くパッパッと振り、お酒をヒゲベラというもので一面に散らすようにする。それらは、神主さんの神前でのお祓いの様式そのもので、神道の儀礼はアイヌの儀礼と共通しているのだという*81。梅原氏は、能やお茶やお庭といった日本の伝統文化もアイヌ的礼儀正しさを受けたものではないかとしていた。アイヌの話はこれくらいにして、次回は、想像の飛躍をはぐくみ、日本型の民主制の基盤となってきた日本語が、明治維新期以降、西欧文明の流入によって揺らいでいる現状について見ていくこととしたい。

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