*64) 小川剛生、2017、p99、105―108。里内裏については、井上亮、2013、p102参照。*65) それは、天皇が「玉」として、臣下の行う権力争いに利用される可能性のある存在であることも意味していた。源平合戦の際の院宣や幕末の「戊午の*66) 島薗進、2022、p194。日本で封建制が長く続いた背景もそこにあるという。*67) 徳川家光は、応仁の乱以降中絶していた「伊勢例幣使」の復活を認め、東照宮に朝廷から参議持明院基定を「日光例幣使」として派遣してもらい、天*68) 家康は東照大権現(仏が神の姿で現れた)として神になり、東照宮に祭られた*69) 「『幕府』とは何か」東島誠、NHK出版、2023、p306−308、321*70) 東島誠、2023、p296−97*71) 「江戸の憲法構想」関良基、作品社、2024、p65,75,77、92−93*72) 大澤真幸、2016、p176*73) 「マグナ・カルタと六角氏式目」水林彪、早稲田法学92巻3号、2017,p242−43*74) 江戸時代の名主や庄屋は、世襲もあったが多くの場合、町村の寄合で選出されていた(「山縣有朋の挫折」松元崇、日本経済新聞出版社、2011、*75) 島薗進、2020、p175、180。豊川稲荷は仏教系。*76) 伏見稲荷では、明治維新以降、稲荷信仰集団が万にも近い「御塚」を造った(島薗進、2020、p81、201)密勅」などがその例という(井上亮、2013、p137,192)。「日本史のなぞ」大澤真幸、朝日新聞出版、2016、p132。皇が「知る」形を整えた(島薗進、2022、p26)。p35−36) 34 ファイナンス 2024 Oct.て造られ、政務朝議の日などは見物人であふれていたというが*64、それでもいいのが日本の統治システムだったのだ。平安時代の摂関政治は、天皇が主催する律令制のもとで摂政や関白が天皇から統治を「預かる」ものだったが、戦国時代になると守護大名が、律令制の国を預かって「守護」するものとされた。「天下統一」が目指された安土桃山時代から江戸初期にかけては、中央集権化への試みがなされたが、それも天皇が「知る」という統治の基本的な仕組みから逸脱するものではなかった*67。江戸時代の統治は、神君として神になった家康*68が天皇から「預かった」もので、神君の末裔(大公儀)から諸侯(小公儀)に更に預けられていたのである*69。天皇から臣下が統治を預かる仕組みは、武家政権の頃から衆議制になっていった。鎌倉幕府の評定衆、中世禅僧の集議、豊臣秀吉の高野山への集儀衆設置の指示*70、江戸の老中制、町村の寄り合いなどである。中世の国一揆や堺の自治も、衆議制の例といえよう。明治維新の「万機公論に決すべし」とした五か条のご誓文も衆議の流れに位置づけられるが、それに先立っては信州上田藩士(赤松小三郎)から普通選挙による議会を国権の最高機関とする憲法構想が幕府などに提出されていたのである*71。それは、日本型の民主制の流れだったと言えるもので、大澤真幸氏によると、戦国天皇の政治的役割と日本の民主制自らを天と一体だと認識する天皇の統治システムにおける基本的な役割は、臣下が行う統治について「知る」(しろしめす)ことだった*65。「新宗教を問う」を著している島薗進氏は、それは、日本が中央集権的に強く治める体制になりにくいことを意味していたという*66。時代の日本には英国で発達した西欧の議会制度と類似するものが現れていたという*72。戦国時代、六角氏が制定した「六角氏式目」は、英国のマグナ・カルタに匹敵するものだったという*73。前回、西欧の民主制の成立が、申命記革命の「反復」で可能になったという大澤氏の説を紹介したが、そのような難しいことを言わなくても、日本ではそれなりの民主制が育くまれてきたのである*74。そして、そのような衆議制の発展の背景には、主語を持たず「世間」の中で主体が立ち現れてくる日本語があったというのが、筆者の考えである。すべての主体が「世間」の中で変幻自在に立ち現れてくるならば、そこでの統治は衆議によらざるを得なくなっていくはずだからである。今日の日本人の宗教観平安末期から仏教が説くようになった救済は、江戸時代には霊威神に結びついて富士講や稲荷信仰になっていった*75。それを支えていたのが、山伏たちの修験道だった。明治維新期に政府が神仏分離政策の下に修験道廃止を打ち出すと山伏たちの活動が抑えられて富士講や稲荷信仰は衰えていったが、それに代わって生まれてきたのが新たな民間宗教だった*76。黒住教、天理教、金光教などである。江戸時代までの仏教は、死んだ後に極楽浄土に往生するという浄土系の信仰が主流で、禅宗も一般社会の家庭生活や職業生活から離れて修行をする現世離脱的なものだった。それに対して、明治以降に生まれた新宗教は現世肯定的で、家庭生活や職業生活をしながら救われる。この世で幸せになることに救いがあるとした。平安時代の「竹取物語」への回帰と言えよう。現世での救済は、個人レベルにとどまらず大本教のように世直しに取り組むものも現れてきて、中には国家神道と衝突して弾圧を受け
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