ファイナンス 2024年10月号 No.707
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*46) 「人類精神史:宗教、資本主義」山田仁史、筑摩書房、2022、p206*47) 日本における仏法の理解・研究は、聖徳太子の「三経義疏」が有名だが、本格的には九世紀初頭の最澄と空海からだとされている(長谷川宏、*48) 山折哲雄,「無の宗教」、産経新聞、2022.9.25*49) NHKの2018の調査では信仰宗教なしが62%*50) 「日本という方法」松岡正剛、NHKブックス、2020、p198*51) 「現代フランス哲学」渡名喜庸哲、ちくま新書、2023,p222*52) 毎日新聞、2024.1.9,7面*53) 「魏志倭人伝」によると、倭国では死者がでると喪主が号泣し、他の人はその周りで歌を歌い、舞を舞って酒を飲んだという(「古代国家と中世社会」*54) 天皇が亡くなると一定期間の殯(もがり)を行い陵に埋葬したが、年月が過ぎると誰のものか分からなくなっていた。古代の古墳はすべて「名無し」2023、p93)。五味文彦、山川出版社、2023、p38)。だったという(井上亮、2013、p18−24、61)。 32 ファイナンス 2024 Oct.本的に一族で氏神を招いて酒食を供し、ともに楽しむことだった。そこでは集団の一体感を促すために酒がつきもので、そのような酒席における無礼講は、その場にいる者すべてが日常の社会生活における序列を超えて、一族という「世間」での平等な「主体」であることを確認する場だった。日本人は、そのように集団で氏神を招いて祭りを行うだけでなく、願いをもつ時には氏神に限らず個別に様々な神を呼びだして祈りをした。そういった人間の営みにたいして神は恵みを与えるが、人が神の意向にそむく場合には怒りを沸き立たせて祟ることもあった*46。霊威神である。そのような日本人の信仰には、経典や布教という概念がなかった*47。多くの日本人が、初詣で神社に行って家族の幸せを願い、クリスマスで子供の幸せを願うというように特定の宗教にこだわらないのも経典の概念がないからと言えよう*48。日本人には無宗教が多いと言われるが*49、それは「宗教」を経典を持つ西欧の宗教の感覚でとらえるからだ。平安末期になって仏教の経典に基づいて末法思想が語られるようになり、法然の専修念仏や日蓮の日蓮宗などが出てきて、日蓮は「真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊」と言って他宗を排斥したが、法然は「七箇条制誡」三条で信徒に他派の教えを謗ることを諫めていた。特定の経典による教えにこだわらない日本人の宗教観からは、その方がしっくりくると言えよう。浄土真宗では弥陀の本願ということで、「無阿弥陀仏」と唱えれば誰でも救われるとされたが、念仏を唱える人には浄土真宗の教理に興味がないのが普通だ。そもそも「仏教」というのは、明治時代に西欧の宗教観が入ってきてからの言葉で、それまでは「仏道」と呼ばれていた。「神道」と同じように経典にはこだわらず、人々に日々の生き方を教えるものだった。それは、混沌から生まれ、死と再生を繰り返す中で、まっとうな生き方を会得したいという日本人の心情にあった教えだったといえよう。ちなみに、神道には江戸時代の儒家神道まではまともな経典はなかった。儒家神道に対して本居宣長は、中国由来の儒教の教義などにこと寄せて神道を解釈することを強く批判していた*50。それぞれの氏神を信仰し、人は誰でも悟れるという宗教意識を持つ日本人は、自然な形で他人の信仰にも敬意を払う*51。道端に祠があれば、お参りをするのが日本人だ。「なにごとの おはしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる(西行法師)」というわけである。一神教のキリスト教やイスラム教では考えられないことだ。山折哲雄氏は、30年ほど前にエルサレムを旅して、ユダヤ教の「嘆きの壁」、キリスト教の「聖墳墓協会」、イスラム教の「岩のドーム」を巡った時に「一神教徒は、自分の宗教の聖地だけにお参りして帰っていく。往復運動です。でも日本人観光客は全部巡る。円運動です。この差は歴然たるものがありました」、「もし一神教徒たちが互いの聖地を巡り歩くようになったら平和が訪れる。そう感じました」*52としている。氏神信仰の日本人ならではの感覚だが、それを西欧人に求めるのは無理といえよう。日本の慰霊霊魂が不滅だと考える日本人の慰霊の基本型は常世(とこよ)の世界に行った霊を慰めることで*53、元々お墓はなかった。神社に墓はないのである。ケガレを嫌う神道は、江戸時代の儒家神道までは葬式を行っていなかった。仏教もかつては同じで、法隆寺や薬師寺などの天平時代創建の寺院は葬儀を行っていなかった。ちなみに、チベット仏教(ラマ教)では今日でもお墓がなく、鳥葬が行われている。鳥葬は故人を自然に返す儀式で、それによって人間は生まれ変わるとされているのである。仁徳天皇陵などの皇室の陵も、墓所というよりは神としての歴代天皇を祀る場だったという*54。日本で一般的に葬式が行われるようになった

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