ファイナンス 2024年10月号 No.707
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日本語と日本人(第7回)ファイナンス 2024 Oct. 31*34) 「教養としての神道」、島薗進、東洋経済新報社、2022、p260)*35) 中村真一郎、2023、p113−14*36) 木村朗子、2021、p283−84*37) 「〈つながり〉の精神史」東島誠、講談社現代新書、2012,p17*38) 「日本精神史 上」長谷川宏、講談社選書メチエ、2023、p74*39) 磯田道史「文藝春秋(2023.4、p289)」、山折哲雄(長谷川宏、2023、p82)*40) 江上波夫、梅原猛、上山春平、1982、p418*41) 「新宗教を問う」島薗進、ちくま新書、2020、p156*42) 木村朗子、2021,p132,63。「日本霊異記」中巻第13*43) 木村朗子、2021、p155。「十訓抄」5ノ17、醍醐天皇。*44) その元になったのは、武士が「勝手に」創り上げた天皇観で、「国体」の言葉を天皇と関連づけたのは、幕末に出された会沢正志斎の「新論」が最初だったという。神武天皇を開国の祖とする神道が出来上がった(井上亮、2013、p218、224)。それは、儒教の影響が大きいもので(島薗進、2022、p268−9)、神仏習合ならぬ神儒習合だったといえよう。*45) 「講孟余話」吉田松陰、中公クラシックス、p73−74。室町時代に成立した吉田神道以前の神道は、皇室との密接な結びつきはなかった(井上亮、2013、p183) 間の選別・救済を説く教えで、創造主を想定する一神教では一般的なものである*34。ちなみに、万物が混沌の中から生まれてきたとして霊魂の不滅を信じる日本人の宗教観には、本来、何とも言えない明るさ朗らかさがある。それは「竹取物語」によく表れているという。「竹取物語」で、もっとも端的に日本的なのは、最後に帝(みかど)がかぐや姫が残していった不死の薬を富士山で燃やしてしまう結末だという。不老不死を求める中国ではおよそ考えられない結末だ。日本人にとっては現世での不死に対する執拗な願望よりも、輪廻転生の中で今与えられている現世を明るく生きようという方が居心地よく感じられるのだ*35。終末論を持たなかったことは、死後の救済を説く仏教が入ってくると、祖先も含めて総てのものが救われるという教えにつながっていった。草木国土悉皆成仏である。空海が伝えた真言密教の理趣経は、そもそも人間は生まれつき汚れた存在ではないという「自性清浄」を説いていた*36。天台宗の本覚思想は、人は誰でも悟れるとしていた。無縁という言葉は、「身寄りのない」ことだと思われているが、仏教における本来の含意は「特定の縁につながらない」ということで、「法界無縁」とは、仏の慈悲が全宇宙の一切の衆生に対して向けられていることを意味している。「無縁一切精霊」「三界万霊」も同様で、全てのものが仏の救済の対象になるという意味なのだ*37。日本における神仏そのような日本人の宗教観は、八百万の神も人も混沌の中から生まれてきたという神話からのものだと考えられる。優れた人間は神になり*38、恨みを持つ人間は鬼になるのが日本だ。大手町にある平将門神社を見ればわかることだ。世界的にみると、古代の多神教的な神々や氏神信仰はほとんど滅びている。特に一神教が入ったところでは、そうなっているのだが、八百万の神がおり、優れていれば人間も神になるとされる日本ではそれぞれが自分たちの祖霊である氏神(鎮守の神)を信仰し続けてきた。磯田道史氏は、そもそも「仏さま」と言って日本人が信仰してきたのも、基本的に「ご先祖さま」という氏神様だったという*39。日本に仏教が入ってきた時、宗教で大切とされる仏教の礼体系が伝えられなかったが、それは日本に早くから氏神を信仰する別の礼体系があったからだとされている*40。それは日本人が、一般的にキリスト教やイスラム教の唯一神や、中国の唯一の存在としての天命といった概念を受け入れなかったということであった。神仏習合も、全てのものが混沌の中から生まれてきたという宗教観からすれば当然のことだった。天皇家も仏教に帰依してきたのである*41。仏に仕える僧侶も特別の存在ではなかった。龍女と子をなし、吉祥天に惚れた僧侶の話などが伝えられている*42。天皇も一般の人とかけ離れた存在ではなかったので、天皇が地獄に堕ちる話も伝えられていた*43。雨月物語の「白峰」のように天皇が怨霊になった話も語られていた。そこに登場する崇徳天皇は怨霊になっていて西行に諫められるのだ。そんなことから、明治期に創られた「国家神道」*44における天皇も、人間とかけ離れた「主(しゅ)」ではなく「親」とされ、国民は天皇の赤子とされていた。明治維新の指導者を育てた吉田松陰は、「今日の観念では、天子は宮中にあって、実際にはるか雲の上の人となっており、一般の人間とは質的に異なる特別の存在のように心得ているが、このようなことは古道の考え方にはなかったものである」としていたのだ*45。日本における神の祀り方「ご先祖さま」という氏神の祀り方(祭り)は、基

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