*18) 雑誌「青鞜」の発刊(明治44年)の辞に、平塚らいてうが寄せた言葉。天照大神が女性だったことからのもの。*19) 男性を女性より高い存在とみなす文化は、鎌倉時代に武士が「男が家を継ぐ」のが当たり前とするようになって広がったという(「恋愛結婚の終焉」*20) 「源氏物語の世界」中村真一郎、新潮社、2023、p129*21) 「明恵 夢を生きる」可合隼雄、京都松柏社、1987、p209。*22) 「古代における母性と仏教」勝浦令子『季刊日本思想史』22号、ペリカン社、1984、可合隼雄、1987、p218*23) 「アイヌと古代日本」小学館、江上波夫、梅原猛、上山春平、1982、p360*24) 飯高宿■諸高(いいたかのもろたか)*25) 井上さやか、奈良県立万葉文化館、企画・研究係長の三州俱楽部の講演における話*26) 「嫉妬と階級の『源氏物語』」大塚ひかり、新潮選書、2023,p69−70、110−11*27) 牛窪恵、2023、p126*28) 「小さきものの近代1」渡辺京二、弦書房、2022,p240*29) 血脈を重視し家の存続を重視しなかった中国では、土地が無限に細分化されて地域に安定した名家が無くなり、人々は常に有力者にすり寄るように*30) 天皇家は、その例外である。桓武天皇の時代に、中国の影響を受けて父系原理になったとされる(「天皇と葬儀」井上亮、新潮選書、2013、p75)*31) 「貞永式目」佐藤雄基、p125。中国や韓国は、厳格な父系原理の下、結婚しても姓は変わらず夫婦別姓となっている。男女平等からではなかったの*32) 「土偶と仮面・縄文社会の宗教構造」磯前順一、校倉書房、1994,p117−20*33) 病気なおし、心なおし、世直しといったことが、最近の新宗教の特徴牛窪恵、光文社新書、2023、p124)。なったという(「日本思想史と現在」、渡辺浩、筑摩書房、2024、p146)。である。 30 ファイナンス 2024 Oct.歌枕は、文学の世界を超えて様々な工芸品の意匠にも使われて日常生活を彩っていった。日本における女性の位置づけ恋愛の話が出たところで日本語における女性の位置づけについてみておくこととしたい。平塚らいてうの「元始、女性は太陽であった」*18が有名だが、大和言葉には「妹背(いもせ)」「女夫(みょうと)」「母父(おもちち)」のように女性のほうが先のものがあった。日本には、本来、女性を男性よりも低い存在とみなす文化はなかった*19。それは、男のあばら骨から女が造られたという旧約聖書の世界とは全く異なる文化だった。文芸評論家の中村真一郎氏は、「枕草子」の中に描かれている当時の貴族社会における男女交際が、「なんと明るく自由で、そうして対等であることか」としている*20。仏教が日本に渡来してきたときに最初に出家したのも女性だった。司馬達等(たっと)の娘、嶋が出家して善信尼と名乗ったのだ*21。その背景には、古来からある地母神的な母性崇拝があったとされている*22。ちなみに、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)から神武天皇までの3代の天皇家の夫人は土地の娘で、意識においては父方だが血統は母方が多かったという*23。中国から官僚制が導入されても、女性にも内命婦(ないのみょうぶ)という日本独特の官制が設けられた。実際に、十三位(次官級)にまで出世した女性もいて*24、その仕組みは平安時代まで続いていたのだった。飛鳥時代には女性の財産権が強く、通い婚の仕組みの下、婚姻を認めるのは母親だったという。男は、認められるために和歌の道に励んだのだ*25。平安時代には、結婚して夫の家に入った場合にも夫に他の女が出来ると実家に帰るのが普通だった*26。安土桃山時代に日本に来た宣教師のルイス・フロイスは、日本ではしばしば妻が夫を離別する、女性は純潔を重んじないと驚いていた*27。江戸時代は、何度か結婚してみて互いに気に入ったところで落ち着くというのが常識で、離婚率は非常に高かったという。女性が離婚する際に「三下り半」を渡されたことが、女性の地位が低かったことの証拠のように思われているが違うという。子は家のものとされていたので、女は子を連れずに家を出るが、その際にもらうのが「三下り半」で、それは女性がすぐに再婚できるための再婚許可状だったというのだ*28。ちなみに、子が家のものとされたのは、先祖のお祀りを行うためだが、それは中国や韓国のように厳格な父系原理の下での血脈を絶対とする考え方*29からのものではなかった。すべては混沌の中から生まれてきたと考える日本人にとって、先祖のお祀りは必ずしも血のつながった子供でなければならないものではなく*30、男の子供がいないと簡単に養子縁組をして先祖の祭りをしてもらった。女性が「嫁入り」すると夫の「家」の名字を名乗ったが、男性も婿養子になると妻の「家」の名字を名乗ったのだった*31。日本人の伝統的な宗教観想像の飛躍が豊富な日本語の背景にあるのが、霊魂は不滅で輪廻転生するとの日本人の宗教観である。人が輪廻転生するとなると、過去のご先祖さまや未来の子孫に時空を超えて変幻自在に会うことも当然ということになる。土偶の埋納方式からして、日本人は縄文時代から死と再生を信じてきたとされている*32。日本人が終末論を持たず、現世救済の意識が強いのも、そのような宗教観からのものと言えよう*33。ちなみに、終末論とは、この世の終末における最後の審判での人
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