ファイナンス 2024年10月号 No.707
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黒田東彦前日銀総裁、東京大学講演「財政金融政策に関する私の経験」(前編)ファイナンス 2024 Oct. 19 為替の安定とアジア経済の復興に努める(1999〜2003年)常に評価されただけでなく、アジア地域内での相互扶助、最終的にはチェンマイ・イニシアチブ(Chiang Mai Initiative、CMI)まで繋がるわけです。97年の10月に、香港でIMF世銀総会があった時に、こういう形でアドホックにやるだけでは無理なので、アジア通貨基金というものを作って、アジア域内の国が資金を出し、IMFが緊急支援をしなくてはいけない時にそれを補完・補足するような支援をするシステムを作っていく必要があるという提案をしました。その時の香港でのIMF世銀総会では、ASEAN諸国や中国、韓国のほかに、オブザーバーとしてIMFと米国、ヨーロッパが入っていました。ASEAN諸国と韓国も賛成だったのですが、IMFは絶対反対だと言いました。アメリカの代表がラリー・サマーズだったのですが、これはIMFのコンディショナリティを弱めると彼は言いました。実際はIMFの支援に付け加えるだけですので、IMFのコンディショナリティを弱めることはないのですが、そういうことを言って騒がれてしまったため、結局その場でアジア通貨基金を作ることを合意できなかった。これは本当に痛恨の極みです。もし出来ていればその次のインドネシアや韓国の問題に十分対応できたと思うのですけど、それができなかった。これも基本的にはアメリカの反対でできなかったことになります。その後、インドネシアと韓国に波及して大変なことになったわけですね。アジア通貨基金は出来なかったのですが、1999年に財務官になってからも引き続きアジア経済の復興に努めるということで、「新宮澤構想」で300億ドルの支援を日本が請け負ってやるということになりました。そういうことを通じて、IMFや米国も日本のアジア支援に対する反対を減らし、例のチェンマイ・イニシアチブを打ち出しました。チェンマイ・イニシアティブは今や総額2,400億ドルという巨額の基金となっています。その条件を決めるため、あるいはサーベランスを行うために、シンガポールに国際機関として、「ASEAN+3マクロ経済リサーチオフィス(AMRO)」という機関を作りました。かつては小さい組織でしたが、現在は相当大きなオフィスになっていまして、そこがASEAN+3諸国の経済金融状況を毎年サーベランスして監視をしているわけです。国がお金を貸してほしいという時には、当然IMFからも借りるわけですが、それを補足するようなチェンマイ・イニシアチブでの資金が2,400億ドルもあるということです。アジア通貨危機を経てアジア通貨基金はできなかったものの、形としてはそれとほとんど同じものが、チェンマイ・イニシアチブ、そして、「チェンマイ・イニシアチブのマルチ化」になります。最初のチェンマイ・イニシアチブは二国間通貨スワップのネットワークだったのですが、今はマルチの協定で、ほとんどIMFと似たような仕組みですけども、アジア通貨基金の当初の構想と全く同じような仕組みが出来たことになります。(後編に続く)

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