ファイナンス 2024年10月号 No.707
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18 ファイナンス 2024 Oct.題になったことを挙げれば、北朝鮮の核疑惑です。北朝鮮が重水炉でプルトニウムを作って、それを核兵器にするという疑惑がありました。最初、アメリカは重水炉を爆撃したいと主張したのですが、日本と韓国としては、北朝鮮が反撃して来たらソウルが火の海になるのでそれはやめてくれ、と言いました。結局、重水炉を北朝鮮が壊して廃止する、そうすれば軽水炉を2基あげます、いうことになりました。軽水炉だとプルトニウムもそれほど出ないし、監視しやすいためIAEAに監視させるということで、「朝鮮半島エネルギー開発機構」(KEDO)という国際機関を日本・アメリカ・韓国、後にECも加盟する形で作り、北朝鮮に軽水炉をあげる代わりに重水炉を破壊しなさい、ということで始めました。資金は、韓国が7割、日本が3割で負担していました。しかし、北朝鮮はプルトニウムから原爆を作るのではなく、自分のところから出るウランを濃縮して核兵器を作るということを始めていたのですね。これは約束違反なのか、騙されていたのか分かりませんが、結局、北朝鮮に対する軽水炉の供与がなくなりまして、北朝鮮は核兵器開発を続けて、今では水爆も長距離ミサイルも持っています。北朝鮮はマッカーサーによる大反撃に対する防衛は、中国の人民解放軍がやってくれましたから、中国が体制維持の頼りになるということで、北朝鮮は中国をずっと頼りにしていました。しかし、その中国が90年代になって、どんどんアメリカに近付いていきます。北朝鮮としては中国に対する信頼が危ういのではないかと思い、90年代になって自分で核兵器を開発して、これで絶対的な抑止力になると思ったのだと思いますが、そういうこともあって日米韓がやったことは失敗し、北朝鮮が核兵器を持つに至りました。研修については、財務省の職員に対する経済学の研修など様々な研修を行い、その研修に講師として参加財政金融研究所長として研究・研修と技術支援に勤しむ(1996年〜97年)その後、財政金融研究所の所長を1年間だけやりまして、これは非常に良い経験でした。研究は色々とできましたし、それよりも有用だったのは、研修と技術支援をやったことです。して、研修に出ている人達の意見を聞いたりしました。それから、技術支援については、特にウズベキスタンと親しくなり、ウズベキスタンの人を数十名呼んで研修をするということをやっていました。私自身ウズベキスタンに行って、ウズベキスタンの複数通貨制を改正することについて、ウズベキスタンの首相や財務大臣、中央銀行総裁と議論を重ねました。その後ウズベキスタンは複数通貨制をやめて、一本化することになりました。また、ベトナムがIMFプログラムで、付加価値税をいれなくてはいけないということになり、そこで、付加価値税を一番新しい時点で導入した日本の経験を知りたいということで、石弘光一橋大学教授と一緒にベトナムに行き、一週間ほどベトナムの財政省、国税委員会の人達に日本の経験をお話しました。その後、ベトナムの財政省が付加価値税法を議会に出したのですが、否決されてしまいました。その否決の理由も、便乗値上げがあるんじゃないかとか、中小企業の事務負担が大変なんじゃないかとか、日本で言われていた理屈で、議会で否決されたといいます。そこで、議員たちに付加価値税の重要性や、今言ったような問題が少ないことなどを説明してくれと言われたのですが、それは技術支援ではなくて政治的な話、特に税金の話になるので、私はご遠慮しました。ですが、石先生は個人的に行かれてベトナムの議員に説明して、議会は1年後に付加価値税法を通したので、ベトナムの付加価値税の父というのは、石弘光先生ということなります。いずれにせよ、研修と技術支援というのは大変興味深く、勉強になりました。日本はIMFと同じ40億ドルだけ拠出し、タイに非アジア通貨危機への対応を進める(1997〜99年)その後、97年7月に国際金融局長になった途端に、タイでアジア通貨危機が起こりました。IMFがタイへ40億ドル出すことにしたのですが、到底足りないということで、東京で8月にタイ支援国会合というものをやりました。アジア諸国で100億ドルほど集めてIMFの40億ドルを補完するお金を集めたということです。

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