黒田東彦前日銀総裁、東京大学講演「財政金融政策に関する私の経験」(前編)ファイナンス 2024 Oct. 17 東京サミットの準備に従事する(1992〜93年)その後、副財務官になり、1993年7月の東京サミットの準備を担当しました。当時の千野財務官のもとでして、その時の思い出としては、蔵相報告をまとめる役割を与えられたことです。G7の各国財務省の局長クラスの人と4回ほど会合をして、東京サミットの蔵相報告を作り、それをG7の財務官・次官クラスの会議に出して承認してもらえれば、大臣報告をするということでした。それから、税制一課にいきまして、当時、資産バブルで地価がものすごく上がっていたので、地価の抑制、土地の有効活用のために地価税の導入をやりました。また、湾岸戦争で湾岸特別税などを担当した後、総務課長としても国会の税法通過などについても担当しました。主税局の課長としては、増税・減税について、国民の合意がないとできないので、国民の合意が得られるものか、得られそうなものか、得られたと考えて良いか、ということを常に考えておかないといけません。それから、国際課税については、アメリカとの国との交渉は、条約が通っていたとしても信用できないということで、難しい相手だとつくづく感じました。東京で会議をして報告をしたところ、なんとドイツの次官がこれはおかしいと言ったのです。財政を使ってどんどんやれということばかり書いてあるが、財政規律について書いていないんじゃないか、おかしいと文句をつけてきました。そのことが遺憾だったのは、ドイツの局長も入って、4回も確認して皆賛成した文書なわけです。それをなぜ次官の人が今更反対するのか良く分からなかったですが、その時幸いだったのは、ラリー・サマーズが米国の財務次官であり、また、ジャン=クロード・トリシェがフランスの国庫局長をやっていた点です、その二人が財政規律についても書いてあるとたしなめてくれたため、助かりました。ドイツの大蔵省は、次官と局長との間の意思疎通が十分にできていない、それに対して、アメリカやフランスでは局長が議論して合意してきたことは次官にも入っている。一見すると、ドイツはしっかりしていて、フランスもしっかりしていて、アメリカはしっかりしていないんじゃないかと思うかもしれません。しかし、私の経験ではそうではなく、ドイツの大蔵省が一番ダメでした。米国もフランスもちゃんと局長が同意した結果を次官に上げてあって、ドイツはそうではなかった。その時以来、ラリー・サマーズやジャン=クロード・トリシェと親しくなり、その後も仕事で助けてもらうこともありました。ラリー・サマーズのことを傲慢だと言って嫌う人もいますが、私は彼とうまく付き合っています。実は昨年日銀総裁を辞めた後に、ハーバード大学に呼ばれて講演しに行ったのですが、これはラリー・サマーズが是非来てくれといったものでした。それで何を話したらいいのだと聞いたら、イールド・カーブ・コントロールについて話してくれというのですね。彼はイールド・カーブ・コントロールがどうして上手く出来たのか、どういう効果があったのか、どういう副作用があったのかを個人的に知りたかったらしいです。それで、私はハーバード大学で講演させていただき、イールド・カーブ・コントロールの話だけをしても仕方ないので、日銀の10年の金融政策の話をさせていただきました。それから、世界経済の分断化という話を、また別のファカルティの人が集まった日に話しました。いずれにせよ、東京サミットの準備の時にお付き合いをした人とは親しくなりました。その後東京に戻って、国際金融局の審議官、次長になりました。もっとも、この時もバブル崩壊後の色々な問題があり、明るい話は多くありませんでした。問バブル崩壊の影響を体験する(1993〜96年)そのあと、私は大阪国税局長として1年間勤めました。大阪では、ちょうどバブルの崩壊後ですから、当然ですけど赤字の企業だらけで、大阪国税局長としても、むしろ還付金を早く還付してあげる必要がありました。企業が赤字だった時に、前年黒字で払った法人税を還付する制度がありますので、それを次々に進めるということをやっていました。経済がすごく落ち込んで、企業が赤字である中、徴税を強化してもしょうがないので、むしろ還付金を早くスムーズに返すことで、一種のビルトインスタビライザーの機能を果たしていました。
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