ファイナンス 2024年10月号 No.707
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16 ファイナンス 2024 Oct.利融資していたSAF(構造調整融資制度)を先進国の支援で拡大し、ESAF(拡大構造調整融資制度)を設置しようとしていました。IMFが最初に提案したのは、日独など経常黒字国がESAFに低利で資金を供給するという案でしたが、日独は、黒字国が市場金利でESAFに資金を供給したうえで、ESAFが低利融資できるように先進国全体が利子補給金を公平に分担すべきだと主張(米国は反対)し、そのようになりました。必要な資金は輸銀(現JBIC)が大半を供給し、残りをドイツのKfWなどが供給することになりました。ただ、輸銀は、ESAFが低所得途上国に融資する信託基金なので、信用リスクを軽減するようIMFの保証を求めました。これに対し、IMFは、「ESAF設置の理事会決定の際、専務理事が『IMFはESAF債務完済のため保有金の売却を含めあらゆる努力を払う』と発言することではどうか」と反対提案し、(法的には保証になっていないのですが)輸銀がこれを受け入れたので、ESAFは無事発足することができたのです。実際にお金の大半は日本の輸出入銀行(現在の国際協力銀行)が出していたわけで、IMFのカムドシュ専務理事がわざわざ国際機構課まで来て、支援してくれたことに感謝すると言ってくれました。これは、IMFの新しい体制やシステムを作ることがいかに大変かを表していますが、特にアメリカが反対するとなかなか難しい現実はあります。IMFの協定改正や増資、新規メンバーの加盟は議決権の85%の賛成を必要とする多数決によって決められるのですが、米国は約16%の議決権をもっているので、米国には拒否権があるわけですね。アメリカが反対することを踏まえてIMFが政策を進めることはなかなか難しいことでした。そこを日本は相当強くサポートしたということがありました。また、当時中南米の中所得国の債務問題が非常に大きくなっていたので、日本は「宮澤構想」を出しました。これは、債務の一定の削減を行うというものでした。それまで米国がサポートしていた「ベーカー構想」では、債務削減はせず、IMFや世銀が新規融資をして助けるとしており、これでは上手くいかないということで、債務削減を含む形でやることを「宮澤構想」で打ち出しました。これは、当時のIMFの総会で最も話題になったことだったのですが、米国が反対し、そのままでは受け入れられませんでした。その後、米国が「ブレイディ提案」という債務削減のスキームを作成しましたが、その内容はほとんど「宮澤構想」と同じでした。米国はその時は反対したものの、他に良い案がないので、日本が提案した案をそのまま用いました。これが中南米の債務問題の解決に大きく貢献しました。実際、税法も含めアメリカでは法律は全て議員提案で、議会で承認されるので、日本の閣法のような政府提案ではないわけです。何を言っても聞いてくれないので、アメリカの雑誌などに、アメリカのやっていることは租税条約違反であり、これはFiscal Mercantilismではないかと主張しました。その結果、一部は修正できましたが、全体としては租税条約違反を完全には止められませんでした。やはり政府と議会は全く別であり、またアメリカの面倒なこととして、租税条約を含む条約は上院のみで承認し、下院は一切関係ないのです。それに対して、国内の歳入法、増税・減税などの税法は下院が先に議論することになっていました。下院は、自分に断りもなく上院が勝手に政府が交渉してきた租税条約を承認したと主張し、それをひっくり返すような国内税法を下院先議でやります。その意味で、米国議会の上下両院のねじれがありました。租税条約でも、アメリカと交渉して上院を通って批准されても、下院が条約を否定するような国内税法を作ってしまうため、必ずしも信用できません。こうしたことが散々あったわけですが、こうしたアメリカのシステムではどうしようもない状況でした。国際課税の適正化と土地税制の抜本改革を進める(1989〜91年)その後、主税局の国際租税課にいきました。その後、税制一課、総務課の課長を務めるということになります。国際租税課では、ちょうどアメリカが課税強化、特に外資企業の米国内における課税強化、それから米国企業の海外における活動に対する米国の課税強化を行っていました。しかし、これはアメリカが結んでいる租税条約に反していました。これではいかんということで、OECDの租税委員会などに持ち込んで散々文句を言ったのですが、何を言っても米財務省は何も聞きませんでした。

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