ファイナンス 2024年10月号 No.707
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瑞龍寺 100 ファイナンス 2024 Oct.「伏木港まつり」が毎年盛大に催されています。大の量を占めたのは米であり、輸入物品の大部分は海産物で、米1俵(約60kg)の価格が3円から5円程度だった当時の輸出額は10,739円、輸入額は20,154円であったそうです。1899年(明治32年)4月、伏木新潟税関出張所は、伏木税関支署と改称されるとともに、同年7月13日、伏木港が開港場に指定されるに伴い、同年8月4日、伏木税関支署は、正式に開港場としての事務を開始することになりました。すなわち、伏木港は、この日から世界に対して門戸を開き、直接外国人を相手にして自由に貿易を始めることができるようになったのです。このことは伏木町民だけでなく、富山県全体にとっても輝かしい記念すべき出来事であったことから、8月4日、この日、町端には縁門が設けられ、花火を打ち上げ、各戸には軒灯が下げられ、大名行列まで繰り出されました。さらに、港を一望できる伏木小学校を会場にして大祝賀会が催され、県知事をはじめ来客250名が参加したといわれています。8月4日は現在においても引き継がれ、この日に近代(1900年代)においては、富山県における開港は伏木港だけでしたが、1939年(昭和14年)、伏木港に東岩瀬港を包含し、伏木東岩瀬港と改称され、さらに1951年(昭和26年)には重要港湾に指定され伏木富山港に改称されて以降、北陸経済圏の産業経済活動を支える一大物流拠点として、その役割はますます重要なものとなりました。伏木港区、富山港区の貨物取扱量の急増に伴い、新産業都市の一環として富山新港が建設され、1968年(昭和43年)に伏木富山港の一港区として開港指定されました。このころ、富山新港背後地の臨海工業地帯は、1965年(昭和40年)代に入っての工業構造の多様化とともに、地場産業である製材、水産加工業等の既存産業に加え、軽金属や火力発電などの新設工業と相まって工業の活性化を促進し、北陸有数の港湾工業都市として発展をとげるとともに、当伏木税関支署については、1964年(昭和39年)、現在の場所に伏木港湾合同庁舎が完成、国の出先6官庁が入居し運用が開始され、今年で合同庁舎も60歳の還暦を迎え、現在に至っています。在しています。高岡市には他にも日本三大仏の「高岡大仏」や日本の渚百選の「雨晴海岸」などなど、数ある有名な見どころがありますが、今回は国宝にスポットを当ててご紹介させていただきます。造営に約20年かかった瑞龍寺は「江戸初期の禅宗寺院建築の傑作」と評され、その後は1985年(昭和60年)から約10年をかけて大規模な修理「昭和・平成の大修理」を経て、山門、仏殿、法堂(はっとう)が1997年(平成9年)12月3日に富山県下では初の国宝に指定されました。これは当時、新規の国宝建造物指定として、1967年(昭和42年)の法隆寺が指定されて以後、30年ぶりだったそうです。また、次にお話しするもうひとつの国宝「勝興寺」が指定されるまでは、富山県唯一の国宝でした。3.ふたつの国宝高岡市には全国的にもめずらしい市内複数国宝が所4.国宝「瑞龍寺(ずいりゅうじ)」まず一つ目の国宝「高岡山・瑞龍寺」。前記の加賀前田家2代当主前田利長の菩提を弔うために、加賀前田家3代目当主前田利常が、利長建立の法円寺を利長の法名「瑞龍院」に因んで改められ、のちに瑞龍寺に改称されました。5.国宝「勝興寺(しょうこうじ)」ふたつ目は国宝「雲竜山・勝興寺」。佐渡にあった順徳天皇の御願寺が再興され、寺号を相続して「勝興

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