ファイナンス 2024年10月号 No.707
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大阪税関伏木税関支署 総務課長田中 政義当支署の管轄区域図。ファイナンス 2024 Oct. 99 高岡市の歴史については、遠い昔の古代(700年代)、現在の高岡市郊外は古墳時代以後、明治初期まで日本の地理区分の基本であった律令制に基づいた、当時の越中国の国府で、当時の国守として、万葉集の編纂に関わった歌人として有名な大伴家持(おおとものやかもち)が赴任し、在任した5年に多くの秀歌を残したとされています。「高岡」の由来は、近世(1600年代)、において中国最古の詩集「詩経」の一節「鳳凰鳴けり彼の高き岡に」に由来し、加賀前田家2代当主前田利長が築城と開町に際して名付けた縁起の良い意味の言葉から創作された地名とされています。その後、前田利長が築いた高岡城の城下町として発展したのですが、1615年の「一国一城令」により高岡城は廃城となり、当時「城の無い城下町は衰退して1.はじめに伏木税関支署がある高岡市は、富山県の北西部に位置し、県庁所在地の富山市に次ぐ県内第2位の都市で、県西部の中心地になっています。いく」と言われていましたが、3代当主前田利常の「高岡の人々の転出を規制し、商業都市への転換を図る」という政策が功を奏し、高岡は商工業都市として発展を遂げ、今の高岡銅器や高岡漆器に代表される伝統工芸もこのころから始まりました。近代(1900年代)以降は、青森県の弘前市などの全国30都市と共に市制が施行され、当時全国の中でも最小規模ではありましたが、日本初の市の一つとして「高岡市」が誕生し、豊富な水を利用した水力発電による安価な電力を背景に、アルミ、化学、薬品、製紙、銅製品といった産業が盛んとなり、現代もその工業は引き継がれ、特に銅製品は国内シェア9割以上を誇っています。る伏木富山港の発展と共に共存してきました。現在の伏木富山港は、1889年(明治22年)7月30日に、四日市・下関・博多・門司・口ノ津・唐津・三角・小樽・釧路の諸港とともに特別輸出港に指定され、米・麦・麦粉・石炭・硫黄の五品に限って海外へ直接輸出できることになり、これに伴い、同年10月、伏木新潟税関出張所の庁舎が開設され、11月15日、正式に税関業務を開始し、ここに伏木税関支署の歴史の第一歩が踏み出されました。その後、1894年(明治27年)5月、伏木富山港は特別貿易港に指定され、貿易相手地域は限定されるものの、日本船を利用する貿易なら前記五品目に限定されることなく自由に行えるようになるなど順調に推移し、貿易額においても十分開港場となるべき資格を備えていきました。ちなみに当時の伏木港から輸出された物品の中で最2.伏木税関支署について歴史ある高岡市に所在する伏木税関支署は、管轄す万葉集と鋳物の里、 高岡高岡市

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