神 美術館図書館旧ルートアストラムライン(地下)京橋川三越旧天満屋福屋紙屋町大手町細工町薬研堀流川並木通り(平田屋川跡)旧日銀塩屋町鯉城通り(西堂川跡)旧大正屋元柳町元安川県庁広島駅ファイナンス 2024 Sep. 4166跡住友跡藝備↓森永跡平和の軸線ひろしまスタジアムパーク総合体育館相生橋原爆ドーム平和記念公園ひろしまゲートパーク(市民球場跡)中島本町横町そごう相生通り(外堀跡)広島第1跡34跡旧住友革屋町播磨屋町平田屋町旧三井三菱跡三井跡農工跡不動跡NHK広島城クレド基町帝国議会跡八丁堀堀川町安田跡とらやパルコ平和大通りカトリック世界平和記念聖堂旧証券街斜屋町銀山町卍卍西国街道水路跡街道筋(街道跡)爆心地図3 市街図(出所)筆者作成⛩⛩白ンが日本で初めて販売された。9日間の催事中16万人の入場者があった。出品したのはユーハイムの創業者、カール・ユーハイムである。中国青島で店を営む菓子職人だったが軍属とみなされ、第1次世界大戦に伴って似にの島しまの捕虜収容所に収容されていた。似島は広島港の南端から最短1.7kmの湾上にある。広島銀行の前身で最も古いのは明治11年(1878)に創業した尾道の第六十六国立銀行である。支店が本川の西岸にあった。広島市内の前身行は第百四十六国立銀行で尾道の翌年に設立された。国立銀行制度の満大手町銀行街中島本町、横町ともに西国街道の町である。西国街道が街の東西軸ならば、南北軸は広島城の正門に続く大手町だった。この界隈が当時の街の中心で、銀行の出店も多かった。広島初の銀行は明治9年(1876)7月に開店した三井銀行の出張店で、大手町1丁目にあった。明治13年(1880)に同2丁目に移転し分店に昇格、大正14年(1925)には支店に昇格し行舎を新築した。行舎は昭和42年(1967)からベーカリー、広島アンデルセンの本店となっている(図4)。了後はそれぞれ第六十六銀行、(旧)廣島銀行となった。両行は大正9年(1920)にその他5行を含めて合併し、藝げい備び銀行(第1次)となった。本店は元柳町にあった旧廣島銀行の本店を引き継いだ。昭和2年(1927)紙屋町で新築した本店に移転してから、森永製菓の支店となった。前述の浦野すずの上陸地点である。その後、終戦3か月前に呉、備南、三次、広島合同貯蓄銀行が合流して藝備銀行(第2次)となり、昭和25年(1950)8月に廣島銀行に改称した。新字体の広島銀行になったのは昭和63年(1988)である。令和3年(2021)に竣工した現本店は昭和2年から数えて3代目の店舗となる。三井銀行以外の進出行で早いのは明治30年(1897)の住友銀行である。中島本町にあったが、藝備銀行本店に続く昭和3年に紙屋町に移転した。現在は三井住友銀行となっている。三菱UFJ銀行の前身行では明治40年(1907)に第三十四銀行が大手町に進出した。後の三和銀行である。三菱銀行は前身の加島銀行が大正6年(1917)に進出している。みずほ銀行の前身をみると大正9年(1920)に第一銀行、翌年の大正10年に安田銀行が出店した。第一銀行と、後に日本勧業銀行となる広島県農工銀行が大手町にあった。
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