ファイナンス 2024年9月号 No.706
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*42) ジョセフ・ヘンリック、2023,p250−51*43) 「心はこうして創られる」ニック・チェイター、講談社選書メチエ、2022,p255*44) ブッダも「自我」を否定していた(「ブッダという男」清水俊史、ちくま新書、p162−173、214−15)*45) 「言語はこうして生まれる一即興する脳とジャスチャーゲーム」モーテン・H・クリスチャンセン、ニック・チェイター、新潮社、2022、p281−83*46) モーテン・H・クリスチャンセン、ニック・チェイター、2022、p264―68、309―10*47) モーテン・H・クリスチャンセン、ニック・チェイター、2022、p290−95*48) 「言語の力」ビオリカ・マリアン、KADOKAWA,2023,p16−19、87−88日本語と日本人(第6回) 24 ファイナンス 2024 Sep.は、文明人に含まれるのは、インド人、ユダヤ人、エジプト人、ペルシャ人、ギリシャ人、そしてローマ人で、上級クラスの野蛮人が中国人とトルコ人、それ以外が南方の「黒色野蛮人(アフリカ人)」と「白色野蛮人(ヨーロッパ人)」だとしていた。その後、およそ道徳的でない植民地支配に乗り出した西欧人は「白色野蛮人」とされていたのだ。文明人という概念も時代によって変わるものなのである*42。人の脳の働きと言語最後に、本稿の第1回に紹介した脳科学者のニック・チェイター教授に登場願うことにしたい。チェイター教授は、人の脳は、その時注意を向けている感覚情報を整理統合して意味をとるために絶えず奮闘している存在で、感覚世界の一部ではない「自己」を意識するなどという話は支離滅裂なナンセンスだとしている*43。デカルトの「われ思うゆえにわれあり」という「自我」の考え方を正面から否定しているのだ*44。同教授によれば、人格とはその人独自の過去の経験、思考や言動の積み重ねの歴史で、その歴史の中で人は常に自分自身を作り、また作り直している*45。社会や文化も、そのような作業の中で作り出されている。そして、「何を行い、何を欲し、何を言い、何を考えるのかという前例が共有されることで、個人においてのみならず、社会の中に秩序が創り出される。(中略)そして新たに作った前例というのは古い共有された前例に基づいているのだから、文化のほうも私たちを創り出している。(中略)そのようにして、驚くほど安定し整然とした暮らしや組織や社会が構築されているのだが(中略)私たちがその上に建物を築くことのできる強固な基礎というのは、結局のところ存在しない。(中略)新たな思考や価値や行動を正当化したり吟味したりできるのは、過去の前例の数々という伝統の枠内でのみなのだ。(中略)私たちの生き方と社会を構築するのは、本来的に終わりのない、創造的な過程である(中略)。何をもって自分の意思決定や行動の基準とするかということ自体も、その同じ創造的過程の一部なのだ。つまり人生とは自分たちで遊び、自分たちでルールを創作し、点数をつけるのも自分たちであるようなゲームなのだ」という*46。このチェイター教授の説明は、日本語において日本人が「世間」の中で変幻自在に立ち現れる、自己も他者も「世間」の中でかかわりあうことで規定されるという世界そのものと言えよう。そのようなチェイター教授が重視するのが、想像の飛躍であり比喩だ。言語には、その比喩がしみ込んでいて想像力をどこまでも広げていく、それが人間の進化につながっているという*47。同様の指摘は、「言語の力」という本を著しているビオリカ・マリアン氏によってもなされている*48。次回は、日本語の世界が、チェイター教授やマリアン氏が指摘しているような創造の飛躍に富んだ世界であること、その背景に日本人の宗教観があることについて見ていくこととしたい。

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