ファイナンス 2024年9月号 No.706
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*15) 「監視資本主義」東洋経済新報社、ショシャナ・ズボフ、2021,p201‐202*16) 旧約聖書の世界における奴隷制やジェノサイドについて「道徳・政治・文学論集」D.ヒューム、田中敏弘訳、名古屋大学出版会、2011,p310−*17) 「よくわかる一神教」佐藤賢一、集英社文庫、2023,p190−91*18) 「キリスト」は、ヘブライ語の「メシア油を注がれたものから転じて救済者」のギリシャ語訳(「よくわかる一神教」佐藤賢一、集英社文庫、2024,*19) 旧約聖書は、5世紀にヒエロニムスによってラテン語訳された(「1414年その一冊がすべてを変えた」スティーブン・グリーンブラット、柏書房、*20) 金谷武洋、2010、p173。ギリシャ語では1人称と2人称の場合には主語を明示する必要がなく、動詞だけで主体を示すことができる(「しっかり学ぶ初級古典ギリシャ語」堀川宏、ベレ出版、2021,p18−19)。イスラム教の聖典であるコラーンも主語を使わないアラビア語で書かれており、神はただ完璧で、ひれ伏し従う対象である。*21) 「日本語の哲学へ」長谷川三千子、ちくま新書、2010336参照。p60,69)2012、p122) 20 ファイナンス 2024 Sep.れた*15。前回紹介したアメリカ合衆国がネイティブ・アメリカンを僻地に追放して領土を広げていったことやロシア帝国が原住民を僻地に強制移住させて国土を広げていったことも同様の行動様式だったと考えられよう。言葉をすべてに優先させるようになったことでの紛争は、西欧社会の内部でも起こったと考えられる。プロテスタントによるローマ・カソリック教会の権威の否定が行われた結果、人類史上最も破壊的な紛争と言われる30年戦争が繰り広げられたのである。30年戦争での死者は800万人にもなったという。世界の総人口が6億人程度だった時代の、ヨーロッパという限られた地域での話である。旧約聖書を記していたヘブライ語は、ギリシャ語が静的な言葉であるのに対して動的な言葉だという。ヘブライ語における言葉(ダーバル)は、「前に駆り立てる」という意味だ。旧約聖書の創世記の最初に神が「光あれ」と言うと光が現れる。そのように動的な世界を記述していたのがヘブライ語だった。その動的なヘブライ語で書かれた旧約聖書それにしても、なぜ世界に6000ほどもの言語がある中で、西欧の10ほどの言語だけが、宗教改革の時代以降、主語制の言語になっていったのだろうか。西欧文明はギリシャ文明の流れを汲んでいるはずなのに、ギリシャ哲学には存在しなかった「自我」が、なぜそこで誕生したのだろうかというのが筆者のかねてからの疑問だった。それについて、そうではないかという答えらしきものに思い至ったのは、イスラエル大使館に勤めている人に、イスラエルという国の名前が「神と論争する人」という意味だと教えられた時だった。神と論争するには神と向き合わなければならず、自らを示す主語が必要だ。それが啓蒙主義の時代に再認識されて主語が「誕生」したというわけである。世界で、唯一の神が万物を創造し、人間も創造した。先に紹介したヨハネの福音書は、「万物は言葉によって成った」に続けて「言葉の内に命があった」としている。そのように「命」を創り出した神である「ヤハウェ」の意味は「存在するもの」で、自らをイメージしてはならないとしていた(偶像崇拝の禁止)。ユダヤ教では、そのような神に選ばれたのがユダヤの民で、神との契約(旧約)に基づく儀式、祈り、倫理的行動を通して神と永遠の対話をすることによって救済に至るとされていた*16。そのようにユダヤの民と対話をしていた神が、新約聖書の世界になると人との対話をしなくなった。そして主語を使わないギリシャ語やラテン語によって広まっていったのである。「神は愛です」となったキリスト教の神は、自らの創造を理解することを求めなくなった。ただ完璧な神として、ひれ伏し従う対象となった。神が人と対話をしなくなったのに、神の声を聴いたとすることは罪になった。英仏百年戦争でジャンヌ・ダルクは英軍にとらえられて火あぶりにされたが、それはジャンヌが13歳の時から「神の声」を聞いていてそれに促されて立ち上がったと公言していたのが罪とされたからだった*17。新約聖書の世界で神との対話はなくなり、主語は忘れられていったのである。新約聖書は、まずは東地中海の国際公用語だったコイネー・ギリシャ語と言われる古いギリシャ語で書かれ*18、その後ラテン語訳が行われた*19。いずれも主語を使わない言語である*20。ギリシャ語は、ヘブライ語が動的な言葉であるのに対して静的な言葉だった。ギリシャ語の言葉(ロゴス)は、「集める、束ねる」という意味で、論理(ロジック)に通じるものだ。秩序付ける静的な世界を記述するのに適しており*21、ただ完璧な神を語るのにふさわしい言葉だった。

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