ファイナンス 2024年9月号 No.706
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ファイナンス 2024 Sep. 19 *12) 本稿第2回参照*13) 鈴木孝夫、2017,p191*14) 金谷武洋、2010、p17(「ユング心理学と仏教」河合隼雄、岩波書店、1995)日本語と日本人(第6回)日本人にとって脅威ともいうべき西欧流の「自我」ここで、デカルトが発見した「自我」について考えてみることとしたい。本稿の第1回に、西田哲学の「我々の自己は絶対者の自己否定として成立する」というのはデカルトの「自我」を否定しているのだという話をしたが、それは主語を使わない日本語の世界では「世間」での出会いに先立って確立している「自我」などはないということだった*12。冒頭に紹介した鈴木孝夫氏によると、同氏がアメリカのある大学に滞在している時、日本の中学生・高校生の自殺の原因として、「自分の心をすっかり打ちあけてとことんまで話のできる相手が誰もいない悩み」が大きな比率を占めている。学校の先生は悩み事の相談に乗ってくれない。同級生はみな受験のライバルで、心を打ちあけることなど思いもよらないし、両親はただ勉強しろの一点ばりで、話にもならない。自分はこの孤独にもう耐えられないという話をしたところ、驚いたことに、何人かの学生がおかしくてたまらないという様子で笑い出したというのだ。理由をただすと、一人が次のように答えたという。私は本当に大切なことは、友人はもちろん、親にも話したことがない。先生や他人と相当深くいろいろ議論はするが、それは自分の心の中にある大事な問題について自分で決定する手がかりを得るためであって、問題そのものを打ちあけることはしないし、ましてその解決を他人から教わろうとは思わない。個人が本当に個人である部分は、他人に言えない部分であって、それを明かすことは自分の存在を危険にさらすようなものだ。だから何もかも心をすっかり打ちあける他人がいないことで自殺するなど愚の骨頂であるというのだ。女子学生の一人は、自分も大体同意見で、本当に自分にとって大切なことは夫にも決して言ったことがない。そして自分以外の人間に、自分の本当の気持など分るはずがないとつけ加えたという*13。このエピソードから思い起こされるのは、本稿第1回に紹介した熊谷晉一郎先生の話だ。日本人の「自立」は西欧人の「自立」とは異なり、たくさんのものに少しずつ依存できるようになることなのだ。そのような日本人にとって、デカルトが発見した「自我」は、相当に異質なものといえよう。心理学者の河合隼雄氏は、「ユング心理学と仏教」という本の中で、他と区別し「自立」したものとして形成される西洋人の自我は、日本人にとっては脅威とでもいうべきものだとしているのである*14。中南米を植民地化する際、スペインの征服者は、神によって「すでに承認された先例を持ち出し、それに倣うことで、法を遵守する体裁をとる」という方法を考え出した。兵士たちは、先住民の村を「襲撃」する前に「レケリミュン」と呼ばれる、1513年発布の催告[降伏勧告]を読み上げた。この催告は、コンキスタドール(征服者)は神と教皇と国王の権威の体現者であり、先住民はその権威に服従すべき奴隷であると宣言するものだった。「この大陸のカシーケ(首長)とインディオたちよ……我々は宣言し、おまえたち皆に知らしめる。この世に神は御一人、教皇も御一人、カステイリヤの王も御一人しかおられず、この王こそがこれらの国々の支配者である。速やかに前に進み出て、奴隷としてスペイン王への忠誠を誓え」としていた。続いてこの催告は、村人が服従しない場合、その身に降りかかる災難を数え上げた。そして、「ひとたび催告を伝える義務を果たせば、彼らの略奪と奴隷集めを邪魔するものはなかった」。先住民による抵抗はすべて「反乱」と見なされ、残忍な拷問、闇夜の焼き討ち、公衆の面前での女性の絞首刑といった容赦のない「報復」が行われた。それらの行為は「お前たちの落ち度であり、国王やわたしやわたしに同行した紳士たちの落ち度ではないことを、正式に宣言する」とさ言葉をすべてに優先させることによる植民地支配言葉をすべてに優先させるようになったことから、西欧の啓蒙主義の時代となり、科学技術の発展につながったのであるが、言葉の優先は、西欧人によるおよそ道徳的でない行動様式も生むことになった。その極めつけが、近世の植民地支配といえよう。

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