ファイナンス 2024年8月号 No.705
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木更津税務署 総務課長髙本 智野やっさいもっさい風景かつて千葉県は、安房(あわ)国・上総(かずさ)国・下総(しもうさ)国の3国からなっていました。当署管轄区域は、上総国のうち東京湾に面した東側の「かずさ地区」「君津地区」と呼ばれる地域です。なぜか「きさらづ地区」とは言いません。明治4年11月、廃藩置県後の府県統合により上総国、安房国一円を管轄する「木更津県」が発足され、明治6年6月に印旛県と合併して現在の千葉県が成立しました。1年半余りの短い期間ではありますが、現在の木更津市には県庁が設置されていたそうです。八幡製鉄進出の話が持ち上がったのは昭和35年。沿岸部の埋め立てにより、先祖代々から受け継いだ生活基盤を根底から変えることになるため、当初は多くの反対もあったそうです。しかしながら、海苔の不作なども影響して地元漁協は漁業権の譲渡、放棄に踏み切ったといいます。こうして静かな漁師町は瞬く間に鉄鋼の街に変貌を遂げました。はじめに木更津税務署は、税務署が創設された明治29年11月、君津郡(現在の木更津・君津・富津・袖ケ浦4市)を管轄して設置され、合併・分割なく現在に至っています。製鉄所と「やっさいもっさい」昭和40年、海苔主体の漁業が盛んだった君津に「君津製鉄所(現:日本製鉄東日本製鉄所)」が創業されました。戦後の日本経済を支えた「八幡製鉄」の関東進出に伴い、北九州市をはじめ全国から君津市に2万人以上もの移住者を迎え「民族大移動」と称されました。製鉄所の進出と共に生まれたのが、木更津市を代表する踊り「やっさいもっさい」です。毎年8月14日には、木更津港まつりのイベントの一つとして木更津駅西口前から税務署の前に続く「富士見通り」で行われています。元々は木更津甚句の囃子言葉の一種で「そこのけそこのけ」という意味があり、踊り中の掛け声「おっさおっさ」も木更津甚句の囃子言葉の一種で「おお、そうだよ」と同調する意味があります。ほぼ同時期に徳島で行われる「阿波踊り」同様、「連」を結成するもので、「房総版阿波踊り」と表現されることもあります。多くの移住者を迎えた木更津周辺において、従来からの住民との交流の場として、昭和49年からこの踊りがイベントの中で開始されました。製鉄所関連の地元企業や町内会のほか、近年では、全国各地から集まった「木更津キャッツアイ」ファンによる「木更津キャッツアイ連」や木更津とゆかりの深い「氣志團」のファンによる連も結成されています。令和5年には、長いコロナ禍による4年間のブランクを経て、台風接近による中止が心配される中で、盛大に復活開催されました。 68 ファイナンス 2024 Aug.豊かな海産物に恵まれるかつての漁師町、 変貌を続ける木更津木更津市

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