275D510C240E295E540C470D470D1,570C560C510C320D1,560C570C1,380C810C1,410C360D490D360D255E560C610C1,650C1,620C620C1,730C1,510C1,520C400D1,200C370D400D1,090C320D320D1,080C870C730C500D2,210C2,160C2,240C2,100C1,720C1,550C1,500C1,130C1,150C340D400D970C870C290D275D270D2,350C2,390C610C550C600C540C1,430C420D900C390D400D390D410D870C390D850C2,900C2,550C2,600C2,430C660C630C2,310C650C1,900C1,500C420D410D400D400D420D410D440D明治の地価上位は貿易港今月は特別編として120年前の「最高路線価」を紹介する。戦前刊行された大蔵省主税局年報書に道府県別の最高地価が所載されており、これを元に、最も古いデータの明治37年(1904)から30年おきに最高地価を抽出した(図1)。明治37年は日露戦争が始まった年だ。2列目が昭和9年(1934)の最高賃貸価格、3~4列目は昭和39年(1964)、令和6年(2024)の最高路線価である。ページ幅の都合で平成6年(1994)はスキップした。物価や評価手法が異なるので同じ都市の地価変動を解釈するのは難しい。地価を切り口に都市の位置づけの変遷を探索することが問題意識だ。7月1日、令和6年の路線価が発表された。コロナ禍が収束し人流が戻ってきたこと、円安を追い風に外国人観光客が増えたことから、観光地とりわけホテル需要が旺盛なエリアの価格が上昇したのが今年の特長だ。税務署別にみると、前年比上昇率の全国トップは長野県白馬村の32.1%だった。4位が伝統的建造物群保存地区の高山市上かみ三さん之の町まちで、5位が浅草雷門と新札幌駅前だった。東京では渋谷駅前の路線価が新宿通りを追い越した。連載に関するトピックとしては、令和5年3月号で紹介した前橋市が32年ぶりに上昇。馬場川通りのまちづくりが奏功した。今年の3月号(沼津市の回)では沼津市の最高路線価が三島市に昨年並ばれたと書いたが今年は抜かれてしまった。では一番上の行から見てみよう。明治37年、北海道の最高地価は札幌でなく函館だった。市制施行前の函館区4で、連載では令和5年2月号(函館市)で採り上げた。函館の最高地価地点は末廣町で、青函連絡船が着岸した東濵桟橋の1筋陸側にある。通りには旧日本銀行函館支店をはじめとする近代建築が残っており往時の函館を彷彿させる観光名所となっている。興味深いのは、函館が47道府県で東京、横浜、大阪、神戸に次ぐ第5位だったことである。函館につづくのが京都、名古屋である。地価でいえば函館は6大都市と肩を並べていた。8位以下には下関、尾道、長崎、福岡、新潟そして静岡がつづく。人も物も船で移動していた時代である。当時の最高地価地点には貿易港が多かった。北から順に見ていくと、青森県で最も地価の高い場所は旧藩庁の弘前でも青函連絡船の青森でもなく、港町八戸の十じゅう三さん日にち町まちである。岩手県は盛岡市肴町が一等地だった。今も界隈には岩手銀行赤レンガ館をはじめとする明治・大正・昭和初期の銀行建築が並ぶ。市外を貫く中津川の向こう岸には盛岡城跡が見え、歴史を輪切りにしたような街だ。ニューヨーク・タイムズ紙「2023年に行くべき52カ所」に掲載され一躍有名になった。東北の雄は今も昔も仙台だが、当時の最高地価地点は駅前でなく大町四丁目だった。大町通は城下町を貫く東西路で、西端には仙台城(青葉城)大手門があった。その四丁目は奥州街道との交差点、「芭蕉の辻」の界隈だ。仙台に次ぐ東北第2位の都市は山形県の酒田だった。北前船の西廻り航路の発着点で、中でも港があった船ふな場ば町が最高地価地点だった。言うまでもなく県都の山形市を上回っていた。関東の3大「小江戸」江戸時代の土蔵造りの街なみが残る川越、栃木、佐さわら原の3つの街は「小江戸」と呼ばれる。いずれも舟運で栄え、当時の県庁所在地を上回る県内の最高地価120年前の地価で探す次世代まちづくりの着眼点120年前の地価で探す次世代まちづくりの着眼点 48 ファイナンス 2024 Aug.路線価でひもとく街路線価でひもとく街のの歴史歴史第54回 特別編第54回 特別編
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