ファイナンス 2024年8月号 No.705
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*61) 飯村豊、2023、p272*62) 「リベラルアーツと民主主義」石井洋二郎編、水声社、2024、p67−70*63) 渡辺京二、2023,p102−103、149*64) インドで最も話されているのは、インド・アーリア語族のヒンズー語。なお、「ヒンドゥー教と日本の宗教の意外な親和性」赤松明彦、学士会報第*65) 大澤真幸、2014、p291。田原史起、2024、p164−66*66) 学士会報、No.964,田所昌幸、p40−42*67) 飯村豊、2023、p287。*68) ヤコブ・ムシャンガマ、2024、p388−89 政権批判者の海外市民権を認めないといった動きが出てきている(日経新聞朝刊、2024.6.30)*69) 兼原信克、2023、p160−61960号、p52−53参照。は「欠点を自ら矯正する能力がある」と記していた。政治学者の高坂正尭氏も同旨の指摘を行っていた。米国の民主主義はさておき、では欧州の民主主義はどうだっただろうか。実は、欧州の民主主義も、けして褒められたものではなかった。欧州の諸国家は、17世紀、カトリックとプロテスタントの宗教戦争に終止符を打ったウェスト・ファリア条約を基盤にして作り出されたとされるが、その後、海外で人種差別的な植民地支配に乗り出した歴史を持つのだ。ただ、そのような欧州諸国は、国際社会は異質なものがぶつかり合う多様性に満ちた世界で、異なる文化、宗教、民族、部族が闘い、あるいは共生してきたという柔軟な認識を持つに至っている*61。民主主義を大切にしながらも、その限界を理解しているのだ。ギリシャの民主制よりもローマの共和制を良しとするような議論も行われており*62、日本では明るい面しか教えられないことが多いフランス革命についても、自由や人権を無視したロシア革命につながったとの議論もなされているという*63。インドは世界最大の民主主義国家だと言われるが、インドの社会には極端に貧しい農村、都市のスラム、宗教的・民族的・言語的な分裂、階級間の格差、法を多言的な社会であるインドの民主主義中国流の統治の仕組みがグローバル・サウスの国々に広がりを見せつつある中で、国際社会で存在感を増しているのが、英国の植民地だったことから英語を共通語としているインドだ*64。GAFAや世銀のトップはインド系だ。米国大統領選挙の民主党候補になったカマラ・ハリスの母親もインド系だ。多言語社会で育ったインド人は子供のころから自分と見た目や習慣、育った環境の違う人々と接することに慣れている。そんなインド人は、今日の多様性に満ちた国際社会において「よそ者」とのコミュニケーションが得意なのだという。無視した小規模集団間の不断の紛争、等々、一般に民主主義を阻害するような構造的な条件がほとんどすべてそろっている。それなのに、インドがこれまでそれなりに民主主義的に運営されてきているのは、インドの多元的な社会が、結果的に、民主主義と親和的だからだとされている。単一の強い権力に服従することなく、小さな社会集団が自律的に活動することを許す社会構造が、民主主義と親和的だというのである*65。ただ、単一の強い権力に服従することがないことの延長線上として、国際的な規範や制度への信頼も低いという。同盟や国際協力を信頼し、そのために自国の行動の自由を犠牲にすることなどあり得ないと考えるのだ。欧米流の民主主義や法の支配といったことも偽善と解釈するという*66。欧米諸国の植民地支配を受けた歴史からすれば、今更、欧米諸国に「人権」、「民主主義」、「自由」などと言われても、心の底には「偉そうな顔をして何を言うか」といった気持ちがあるのだろう。それは、先人たちの努力で欧米列強による植民地にならなかった日本人には理解しにくい心情だ*67。そして、そのようなインドの民主主義も、今日、モディ首相のヒンズー第一主義(多数派主義的ナショナリズム)の下に変化を見せている*68。インドの民主主義の動きには、今後、目が離せないといえよう。中国の「正史」の背景にある中国語今日の中国で「中国流のマルキシズム」が、政権の指導原理になっていることについて、兼原信克氏は日本の徳川幕府と違って清朝がなかなか倒れず、倒れたときにはマルキシズムやファシズムがもてはやされる時代になっていたからだとしている*69。前回説明したように、清朝は列強に侵略されるようになっても、最後には礼を知る中国の感化を受けて中国に同化されるはずだとして自らの支配を正当化し続けてなかなか倒れなかった。そのことが、今日の中国を生んだというわけである。 32 ファイナンス 2024 Aug.

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