ファイナンス 2024年8月号 No.705
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ファイナンス 2024 Aug. 31*50) 日本でも戦前には、閉じられた言語空間の下、ゆがんだ言語認識が行われていた(「日本語のために」丸谷才一、新潮文庫、2011,p176−80)*51) 中国でも村レベルでは選挙が行われている。ただ、その点について田原史起氏は、村の幹部の土着勢力化を防ぎ、中国共産党の支配を確固たるものにするためのもので、民主主義と関係はないとしている(「中国農村の現在」田原史起、中公新書、2024、p268−69)。*52) 「危機のいま古典をよむ」与那覇潤、2023、p219*53) プラトンが最も優れているとしたのは、哲人政治だった(「国家」岩波文庫、1979)*54) 渡辺京二、2023,p120−121*55) 「岐路に立つ中国の行方」柯隆、学士會会報No967,2024-Ⅳ、p10*56) 「我々はどこから来て、今どこにいるのか?(下)」エマニュエル・トッド、p23,35。「何でも見てやろう」小田実、1979、講談社文庫、p125,129,134。*57) 「〈世界史〉の哲学 東洋編」大澤真幸、講談社、2014、p233−34*58) 「ジャカルタ・メソッド」ヴィンセント・ベヴィンス、河出書房新社、2022。*59) 「外務省は『伏魔殿』か」飯村豊、芙蓉書房出版、2023、p142*60) 「石橋湛山の財政思想 ―戦後復興の基礎の形成」松元崇、第77回日本財政学会報告、2020日本語と日本人(第5回) たらされたのである。なお、そのような台湾での変化の背景には、日本語の影響を受けて誕生した新しい中国語があったといえよう*50。そもそも民主制は難しい。「民主制は最悪の政治形態である。ただし、過去に試みられた他のすべての政治形態を除いては」とは、英国のチャーチル首相が言った言葉だとされているが、元々はアリストテレスのニコマコス倫理学の中にある言葉である。古代ギリシャの時代から、民主制は難しいとされてきたのだ*53。ただ、では西欧流の民主主義で統治が難しい国は、「中国流の民主主義」でいいかといえば、そうもいくまい。西欧流の民主制(democracy)は、言論の自由や身体・財産の自由といった自由主義(liberalism)と結びついて発展してきたもので、個々中国流の「民主主義」と世界実は、強権的な中国流の統治の仕組みは、グローバル・サウスの多くの国々に支持されている。西欧流の民主制では、それらの国での統治が難しいからだ。先の大戦後に独立したアジアやアフリカの多くの国々は、独立当初には民主的な選挙を行ったが、ほとんどの国でクーデターが起こって軍事独裁政権になってしまった。植民地主義の時代に西欧諸国が地域の部族の支配を無視して国境を定めたアフリカの国々では部族間の紛争が少なくなく、ある部族が選挙に勝って政権を握ると、前の政権のエリートを全て殺してしまうといったことまで起こっている。西欧流の民主制では、そういった国々の統治は難しい。そんな中、「中国流の民主主義」があると言われ*51、民主主義は一部の国の専売特許ではないと言われ、それを唱える中国が「中華民族の偉大な復興」に突き進んでいるとなれば、多くの国がそれをまねしたくなるのには無理からぬものがある。今後は、非民主的なままで発展する国家が増えていくことが考えられるともいわれているのだ*52。人の能力の自由な発展や人々の幸福につながる可能性を開く、人類共有の貴重な知的財産というべきものだからだ*54。強権的な統治が行われている中国からは、その統治を嫌って多くの知識人が逃げ出し、海外で大きなネット・ワーク(バーチャルコミュニティー)を作りつつあるともいわれているのだ*55。とはいえ、今日、中国流の統治手法がグローバル・サウスの国々に幅広く受け入れられてきているのが現実であり、その背景には、西欧諸国のこれまでの行動に問題があったことがある。米国は、欧州における宗教弾圧から逃れて来て、原住民(ネイティブ・アメリカン)に助けられて入植したピルグリム・ファーザーズ達が、民主主義の崇高な理念を掲げて建国した国だが、建国後は、原住民と結んだ条約をことごとく破って800万人ほどもいた原住民を自分たちの土地から追放してしまった歴史を持っている。また、「アメリカの民主政治」を著したトクヴィルが問題だとした黒人奴隷制も持ち込んだ。異人種間の婚姻などを違法とした人種差別的な南部諸州の法律は、驚くことに戦後の1967年まで存続していた*56。1967年といえば、日本で最初の東京オリンピックが開催された頃のことである。ナチスのニュールンベルク法(ユダヤ人排斥法)がお手本にしたのは、実はそういった南部諸州の人種差別法だったともいわれている*57。米国は、戦後もインドネシアで反共主義の名の下に、共産主義者やその親派に対して行われた大量虐殺を背後から支援した歴史も持っている*58。そのような米国の民主主義は、世界で、特に中南米諸国で信用されていない*59。ちなみに、筆者が米国の民主主義に疑問を感じたのは、財政史の研究の中で、戦後、大蔵大臣になった石橋湛山をGHQが自らの方針に反するとして排除した手法が、戦前の軍部の手法よりもひどかったと石橋が語っていたことを知った時からである*60。ただ、そのように問題のある米国の民主制であるが、トクヴィルは、米国

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