ファイナンス 2024年8月号 No.705
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*28) 菊池秀明、2022、p54−59*29) 岡田英弘、2021、p161―62、187―88*30) 「近代の呪い」渡辺京二、平凡社、2023、p36、105*31) 「日本語が消滅する」山口仲美、幻冬舎、2023、p165*32) 「日本人になったウィグル人たちに中国がやっていること」三浦小太郎・日本ウィグル協会著、産経新聞出版、2023、宮脇淳子、2019、p182、*33) 「経済安全保障」北村滋、中央公論社、2022、p312*34) ビオリカ・マリアン、2023,p184―85*35) 岡田英弘、2021、p282−83*36) 「漢字と日本人」高島俊男、文春新書、2021、p17205統一(焚書)に似ているが、その実態は全く異なっている。始皇帝の焚書は、漢字の読み方は統一しても各民族の言語は尊重していた。ところが北京官話による統一は、各民族の言語を否定するものなのだ。ちなみに、明代の初めまでに、人口増加に伴って多くの漢人がそれまで住んでいた北京から広州に至る地域から内陸各省(広西、湖広、四川、東北3省、安徽、広西など)に移住していき*28、南京が首都とされて南京地方の中国語が「南京官話」とされたが、それは官吏だけが用いる言葉だった。清朝までの中国の歴代王朝は、現地語を否定することはなかったのだ*29。それは、目で見ただけでわかる漢字が中国大陸で生み出した多様な民族が共生する世界だった。清朝までの言語政策は、今日のインドやシンガポールがとっている政策と同様のものだった。インドの共通言語は誰の母語でもない英語だが、公用語として認められている言語だけでも40くらいある。部族語まで含めると何百もあり、それぞれに尊重されているという。シンガポールも英語を共通言語としているが、様々な出身地の華僑が異なる言葉を話し、タミル系インド人やマレー人もそれぞれの言葉を話している。ところが北京官話による中国の言語統一政策は、中国大陸に住む多様な民族の言葉を認めないとしているのだ。それは近代において、中国が列強の植民地支配を受けた歴史から、言語の統一によって一国としてのナショナリズムを確立しようとしていると考えることができる。実は、一国の言語統一の必要性は、フランス革命のときに唱えられたことだった。当時のフランスではフランス語を話す人は四人に一人しかおらず、それでは一つの国民を創り出すことは出来ないとされたのである*30。しかしながら今日、中国に対して列強からの植民地支配の圧力があるわけではない。また、北京官話への統一は、フランスで行われたものとは次元の異なる極めて強権的なやり方で行われている。その結果、モンゴル族やウィグル族、チベット族などとの間で、また上海語や広東語などを話す漢族との間で大きな摩擦を生んでいるという。同化政策を施されて母語を失いつつある部族は、怒りの感情や暴力性を強めるからだという*31。ウィグルでは、小学校から北京官話での教育を強制されている結果、子供は親とウィグル語での会話が出来なくなりつつあるという*32。かつてソ連がモルドバで使われていたラテン文字をロシアのキリル文字に強制的に変えてモルドバの人々のアイデンティティを奪おうとしたことがあったが、それと同様の政策が行われているのだ。そのような政策は、米国やカナダの議会でジェノサイドと認定されている*33。かつては、そのような政策が、欧州諸国の植民地だった南北アメリカ、アジア、オセアニア等で広範に行われていた*34。しかしながら、今日、そのような政策を行っている国は中国以外にはない。英国は英語以外に3つの言語を公用語としており、フランスではブルターニュ地方独自のブルトン語などが尊重されている*35。日本でも、アイヌ語やウタリの文化を尊重する政策がとられるようになっている。ちなみに中国では、中国語は「中国語」ではなく「漢語」とされているという。中国は多言語国家なのに、そこで話される言語を「中国語」というのは、インド大陸で主に話されているヒンズー語を「インド語」というのと同じだからだ*36。中華文明の基盤の崩壊中国における中華文明の基盤を崩壊させかねない政策は、言語以外の倫理・道徳といった分野でもとられている。1949年の中華人民共和国の成立以来、中国共産党によって伝統的な文化・宗教の否定が行われてきているのだ。1957年に始まった大躍進後の四清運動では、村々の地蔵殿、観音廟、三清殿、財神廟、五道廟、三官廟、真武廟等がことごとく破壊された。続く文化大革命では、儀式の書物、楽譜、衣、楽器までもがことごとく燃やされ、破壊されたという。筆者は、 28 ファイナンス 2024 Aug.

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