ファイナンス 2024 Aug. 25 *1) 「四書五経」竹内照夫、平凡社、1981、p127*2) 牧角悦子、2012、p188―89*3) 「詩経・楚辞」牧角悦子、角川文庫、2012、p187*4) 竹内照夫、1981、p9−12*5) 実在が確実な中国最古の王朝*6) 「中国古典小説選 11」明治書院、2008、p181*7) 竹内照夫、1981、p127−28、144*8) 牧角悦子、2012、p5*9) 竹内照夫、1981、p13−17、47中国の神話まずは神話の話から始めることとしたい。本稿の第1回に、虫の音を「声」として聴く日本語の根源に八百万の神が「混沌」の中から生まれてきたとする神話があるという話をした。神話の根源には、正と悪といった価値観念を超えた大きな「混沌」の世界があったはずだが、中国ではそういった世界は歴史を規範だと位置付けた後の儒教の影響によって淘汰されていってしまった*1。「荘子」に、混沌に7つの穴をあけたところ死んでしまったとの故事が紹介されているが、混沌であるがゆえに価値を持っていた混沌が、秩序という「穴」をあけられて死んでしまったのだ*2。魯の国の歴史書である「春秋」が経典に入ったことが、歴史の解釈が規範として尊ばれるようになったことを象徴しているという。中国では、今日、漢字の読み方を北京官話に統一する政策が押し進められているが、その政策は偉大な中華文明の基盤を崩してしまいかねないという問題を孕んでいる。中華文明は、読み方が違っても目で見てわかる漢字という優れたコミュニケーション手法によって、ユーラシア大陸を東西にまたがる広大な領域の民族の文明を融合させながら築き上げられてきたものだからである。中国にも古代には豊富な神話があったはずだ。ところが、今日それらは一つのストーリーとしては残されていない。「書経」や「楚辞」「詩経」「尚書」「荘子」などに断片が残されているだけだ*3。紀元前7世紀ごろの成立とされる「書経」には、混沌の中から世界が生まれてきたとの神話が記されているが、日本神話のスサノオノミコト伝説やヒンズー教のラーマーヤナといった国造りに関する叙事詩はそこには存在しない*4。「詩経」にも燕(つばめ)が殷*5の始祖である商を生んだという神話が記されているが*6、神の活動をうたった叙事詩はやはり残されていない。「詩経」には、集団歌謡、季節の祭りや祖先の祀りの歌、さらには抒情歌が多く記されており、それらの多くは子孫繁栄と五穀豊穣を神に祈願する宗教歌であったはずだ。ところが、それらも漢の時代に儒教の教えに添って読まれるようになった結果、変質してしまったという*7。自由な恋愛の歌は礼儀の教えに、亭主に愛想をつかした女の歌は人民の苦しみの表白にといったぐあいである*8。「書経」でも、殷代の甲骨文に記されていた神話の神々が人間の優秀者たる聖王賢者の類(尭帝、舜帝、禹帝)に読み変えられてしまっているという。「易経」でも神託や霊感の類の話は、非合理性をできるだけ薄いものにされ、占いもなるべく道徳的かつ原理的なものにされてしまっているという*9。中国の文学中国文学の中心は華麗な漢詩の世界といえるが、そこには混沌が醸し出すような素朴さは見られない。漢詩で大切なのは、韻や平仄だ。韻や平仄は吟じることを念頭に、耳に心地よく響くようにするための約束事国家公務員共済組合連合会 理事長 松元 崇日本語と日本人(第5回)―北京官話による漢字の読み方の統一―
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