ファイナンス 2024 Jul. 83展望台から大村市内を望む (2)領主大村氏の歴史(3)大村市の誕生と発展(1)城と桜山の自然豊かな環境に恵まれているという地理的特徴を持っています。平安時代に藤原直澄が四国から移り住み大村氏を称したのが始まりとされています。大村氏は戦国時代、江戸時代の幕藩体制下でも改易転封もなく明治の廃藩置県まで絶えることなく大村の領主としてこの地を治めました。なかでも有名なのは戦国時代の第18代領主大村純忠であり、キリスト教を受入れ日本初のキリシタン大名となり、ポルトガルとの南蛮貿易を行いました。1571(元亀2)年に長崎港を貿易港として開港し、領地を教会領としてイエズス会に寄進し、天正遣欧少年使節をローマに派遣し、活版印刷など西洋の進んだ技術を持ち帰らせました。江戸時代には、肥前大村藩2万7千石の城下町は、海外の唯一の窓口となった出島からの海外の文物のほか、江戸から長崎へ向かう長崎奉行や幕府の役人、商人、文人が往来する長崎街道の宿場町であり、交通の要衝として賑わいました。1897(明治30)年に陸軍大村連隊、第2次世界大戦中に第21海軍航空廠、海軍航空隊が設置され軍都となり、人口が増えたことから1942(昭和17)年に大村市となりました。当時の人口は3万9千人でしたが、現在は人口が9万9千人(2024年3月)の中核都市となっています。全国的に人口減少が進むなか、大村市は52年連続で人口が増加しており、県内13市でも唯一人口が増え続けている自治体となっています。2024(令和6)年度は、新編される陸上自衛隊第3水陸機動連隊が大村市に配備されたことから人口10万人に達すると見込まれています。大村市は、古くから「花と歴史と技術のまち」と称されていましたが、現在は目指す将来像として「~行きたい、働きたい、住み続けたい~しあわせ実感都市 大村」をスローガンに、長崎空港、長崎自動車道インターチェンジ、2022(令和4)年9月に開業した西九州新幹線の「高速交通三種の神器」という交通アクセスの利便性を活かしたまちづくりが進められています。市内には、いくつかの城跡が残っていますが、時代とともに変わっていく武器や戦術に応じて、城もまたその造りが進化していったことを知ることができます。「三城城」は、1564(永禄7)年に築城された大村純忠の居城で、土塁や空堀りによって周囲を囲まれた(平)山城です。「玖島城」は、1599(慶長4)年に純忠の子で初代大村藩主・喜前が朝鮮出兵の経験をもとに、海に囲まれ守りに適した玖島に築き、明治維新まで大村藩主の居城でした。現在は、史跡「御船蔵跡」など海城の特徴を見ることができます。また、1614(慶長19)年に2代藩主純頼が城を改修した際には、熊本城を築いた肥後の武将、加藤清正の助言を受けたとされています。石垣の曲線が最上部で垂直に立ち、その美しい曲線は「扇の勾配」と言われ、この石垣がある板敷櫓は大村のシンボルとなっています。現在は、玖島城跡は大村公園として桜や花菖蒲の名所となり、例年3月下旬から6月中旬まで「おおむら花まつり」が開催されています。なかでも国指定天然記念物「大村神社のオオムラザクラ」(花弁が60枚から200枚と極めて優美な桜)のほかソメイヨシノなど21種類約2000本の桜が咲き誇り、「日本のさくらの名所100選」となっています。また、5月下旬から6月中旬には30万本の花菖蒲園がライトアップされるなど、多くの花見客で賑わいます。大村市3 城下町の魅力
元のページ ../index.html#87