ファイナンス 2024 Jul. 63令和6年度職員トップセミナー 講師略歴與那覇 潤(よなは じゅん)評論家1979年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、博士(学術)。当時の専門は日本近現代史。2007年から15年まで地方公立大学准教授として教■をとった後、うつによる休職を経て17年離職。20年に『心を病んだらいけないの?』(斎藤環氏と共著)で小林秀雄賞。21年の『平成史』を最後に、新型コロナウイルス禍での学界の不見識に抗議して歴史学者を辞め、評論家となる。『帝国の残影』『中国化する日本』『知性は死なない』『危機のいま古典をよむ』ほか著書多数。きた、1825年が初演です。民谷伊右衛門という、今だと「貢がせホスト」をしていそうな凶悪なイケメンが主人公です。奥さんのお岩さんを散々裏切り、搾取し尽くしたうえに、用済みだからと毒を盛って殺してしまう。ところがこの伊右衛門、実は赤穂浪士でもあるという点が、作品のポイントなんですね。「みなさん、『意識の高い赤穂義士』なんて話は嘘くさいと思いませんか? 実は彼らにも、やっぱりクズがいたんですよ」というストーリーが、徳川末期の庶民にはウケるようになっていた。冷笑主義やシニシズムが売り物になる時代が、近代を待たずして始まっていたのですね。先に論じたように、忠臣蔵には「お気持ちへの同情」以外、復讐のロジックがない。そうした感情的な押しつけを鬱陶しく感じ出した観客は、「忠義とか知らねぇよ。俺は自分さえ愉しめればそれでいい」とうそぶく伊右衛門に喝采した。そうしたニヒリズムの形でしか、日本文明から個人主義は生まれ得ないのかと、丸谷さんは嘆息します。2020年代のいま、世界で「別に西側だけがモデルじゃないぞ」「結局は正義より力だ」とする空気が高まっています。舵取りを誤れば、日本の個人主義もまた伊右衛門のような近世以来の「地金」(じがね)に回帰し、他人に共感せず理想をせせら笑う人ばかりの社会になってしまうかもしれません。それを避けるためにこそ、まずはユーラシア時代における日本の「立ち位置」を、歴史の中に位置づけることが大切です。『教養としての文明論』では、上記の四冊に加えて、西欧およびアメリカを扱う高坂正堯さんの『文明が衰亡するとき』を参照することで、歴史の裏づけを持って現在の国際秩序を理解する方法を模索しています。日本のグランドデザインを描く上で、もう一度歴史が役に立てるのなら、これほど嬉しいことはありません。ご清聴ありがとうございました。以上
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