(2)井筒俊彦のイスラーム研究の起源する不満が高まり、天皇を担いで将軍を廃止する明治維新が起きたわけです。「近世」のあいだは180度逆を向いていた日本とイスラームは、「近代」に入るとむしろ似た動きを見せる。日本とイスラームのつきあい方を考える上でも、糸口になり得る視点だと思います。大川周明という、戦前に活躍した右翼の思想家がいます。彼はコーランの翻訳を試みるなど、元々イスラームへの関心が深く、実は助手時代から井筒さんの才能を見抜いてそのイスラーム研究を支援したのも、大川周明でした。大川は戦時中に『回教概論』(現在はちくま学芸文庫)という本を書いており、戦後の研究水準に照らしても遜色ないイスラーム概説として評判が高い。しかし近日の研究では、実際には大川の研究所に出入りしていた井筒さんが、ゴーストライターとして代筆したのだと指摘されています。これもまた、日本とイスラームが「意外に相通じる」可能性を考える上で、示唆的な挿話です。最後に「日本文明」の本質を問う書物として、評論でも知られた作家の丸谷才一さんが、1984年に出した『忠臣蔵とは何か』を紹介します。忠臣蔵のストーリーは誰もが知っていますが、実はよく考えると、おかしな箇所が多いのです。例えば、浅野内匠頭に切腹を命じたのは幕府なのだから、「復讐する」なら幕府の奉行所を襲うのが筋です。ところが赤穂浪士たちは、内匠頭が斬りつけた吉良上野介の家に討ち入って殺す。これを正当化するために「そもそも吉良が浅野に賄賂を要求し、いじめていた」云々と語られるのは後世の創作で、証拠はありません。むしろ大石内蔵助らは、討ち入り後の口述書に「うちの殿様がなぜ吉良に恨みを抱いたかは、よく分かりません。しかし殿が『吉良を殺したい』と強く思っていたことは確かなので、その思いを我々が果たしました」としか書いていない。つまり日本では、政治的なテロを起こすのに思想は必要ないのです。自分たちが担ぐ対象の「お気持ち」に同一化し、法律や合理性を無視してでもそれに従うことが、日本人にとっては一番強力なモラルになるのだと、丸谷さんは指摘します。(イ)「仮名手本忠臣蔵」の包摂性現実の赤穂事件の後に、それをフィクション化する形で、最初は浄瑠璃、のちに歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』が成立します。そこで行われた脚色についても、丸谷さんの分析は鋭い。歌舞伎の忠臣蔵の終幕では、討ち入りを果たした後、主人公が懐から財布を取り出し「今回の資金を集めてくれたのは、今は亡き早野勘平だ。だから彼は討ち入りには参加していなくても、やはり忠臣であり義士であるのだ」と演説する。これを丸谷さんは、徳川時代の観客に自己承認を与えるためのしかけだと解釈します。江戸の庶民には、自分で武家政権に逆らうような勇気はない。しかし、劇場に来て討ち入りを「応援」してくれた時点で、君も早野勘平と同じように義士であり、十分偉いんだというわけです。いまもSNSで「意識の高い」ことばかり言い、格好をつけた時点でプライドを満たして、少しも現実を変えることに貢献しない人がいますね。丸谷さんの見立てでは、彼らのようなタイプを「それでいいんだよ」と肯定するエンタメ作品として、江戸時代の忠臣蔵は機能していた。日本でフランス革命のような大変革が起きないのは、「架空の世界で自己実現した気にさせる」フィクションで、満足する歴史的な癖があるからなのだと。(2)内発的な「個人主義」とは冷笑系?日本の将来を考える上で、より重要な指摘も歌舞伎の分析から出てきます。忠臣蔵はあまりにも定番となってしまったため、途中から多くのパロディ作品が生まれました。有名な『東海道四谷怪談』もその一つで、同作は外国船が近づき徳川時代の終わりが見えて 62 ファイナンス 2024 Jul.丸谷才一『忠臣蔵とは何か』1.プリミティブな日本:文明化以前の文明?(1)社会の原理は「感情の共有」(ア)なぜ四十七士は吉良上野介を襲うのか?
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